2019/03/18

宗教や文化の交わりを考える

あの、例のニュージーランドのテロ動画を見てしまった。大量殺戮の凄惨な映像だが、淡々と作業をこなすかのように発砲する様には、ショックというより現実味のなさをより強く覚えてしまう。
映画などでよく見る血が飛び散る感じもなく、折り重なり倒れた人々を黙々と銃撃し、助けを求める女性にも容赦なく銃弾が浴びせられていた。多分、犯人はFPSのゲームでもやっている感覚でしかないのだろう。
ただひたすらに、人間の脆さと虚無感だけを感じていた。ニュージーランドといえば若者の海外留学先として人気であり、ついこの前まで武藤彩未なども留学していたと聞いている。信じられないような惨たらしい事件が、すぐ身近で起きているのだ。

今、世界が歪んでいると感じている。無尽蔵に移民を受け入れることが正しいとする風潮に違和感を覚えるし、外からやってきた者に、そこいら中にモスクを建てられたのでは、当然反発も起きるだろう。
かといって、このような残虐なテロは許されないが、きちんとした住み分けは必要に思う。イスラムはイスラム圏に、キリスト教圏を侵すことなく、それぞれが独自の文化を営めば良い。宗教の自由とはいうが、殊に宗教的な対立は相容れないものがある。きっちりとボーダーラインを敷くべきだ。

これは偏見といわれるかも知れないが、個人的にイスラム教というものには不自然さや違和感、そして得体の知れない恐れを感じている。
宗教というのは、人が心の平穏や幸福感を得るためにあるのであって、厳しい戒律に縛られたり、人々がいがみ合うためにあるのではないはず。一日に何度もお祈りしたり、断食したり、あれこれ食べられないものがあったりと、日常生活に支障をきたすような状況が果たして宗教としてあるべき姿なのだろうか。
それに、今現在、世界的にテロの応酬や戦争などで何千何万という人が死んでいるが、これらの多くにイスラム過激派が関係している。
無論、本来のムスリムの人達は善良であって、凶悪なテロリストでないことは理解しているが、こうした過激派がイスラムに根付き生まれた事実は否定出来ない。例えば、キリスト教や仏教にも過激派がいて、世界中で人を殺しているか? 少なくとも、聞いたことがない。
中東の長きに渡る混沌を見れば、複雑な事情があるのかも知れないが、個人的な感情としてはイスラムには関わり合いたくないと思ってしまうのは正直なところなのだ。

念を押しておくが、別にイスラム教を否定したり、信仰する人々を差別する意図は全くない。ただ、他と交わることなく各々の圏内で生活を営む方が余計ないざこざを避けられるし、それぞれ幸せだろうというだけの話だ。
移民という問題は一筋縄ではいかないが…経済的な事情その他により移民になるということは、要は自分らの国を捨てたということに他ならない。それなのに、他国に自分らの宗教や文化を持ち込むというのは、あまりに身勝手のように思える。
国を捨てて、他の国の一員になろうと思ったら、それまでの習慣や文化を一切捨てて、その国に完全に溶け込もうとするくらいの覚悟が要るのではないか? これは果たして言い過ぎなのだろうか。
 
今回は珍しく堅い話になってしまったが、あのおぞましい殺戮に一抹の虚しさと無力感を覚えたせいかも知れない。
僕は神なぞ信じてもいない無宗教なので、こんなことも平気で言えるのだが、実際に宗教に人生を捧げている人の立場からいえば、もっと奥深い信念や感情があり、僕のような人間が簡単に推し量れるわけはないのだろう。
いずれにせよ日本はこれまで通り、高いハードルの移民政策を続けて欲しいと切に願う。外国人労働者の受け入れを緩和させるようだが、これがエスカレートして、欧米に見られるような全面的な移民受け入れ、それに迎合する風潮になるのには絶対に反対である。
日本は東の端の島国で、独自の文化や風習を古来より伝承してきた。異文化有する外国人を無尽蔵に受け入れれば、この大切なものがいとも簡単に破壊されてしまう。単一民族故に民族紛争がなく、平和国家を樹立することも出来た。
世界随一といわれる治安を維持するためにも、たとえ閉鎖的と揶揄されようが、我が道を往く国であって欲しいと願うばかりだ。

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2018/12/29

2018年アイドル総決算

輝いていた頃の三人

アイドルという夢が遠のいていく。次第に心が離れていく。そして、空虚な心境に満たされていく。あえて言葉にするなら、そんな具合の一年だったろうか。
アイドルに生き、アイドルを想い焦がれ続けてきたはずの人生が、大きな転機を迎えるかのよう。それは希望ある再出発とは程遠い、ただ暗闇に堕ち手探りするだけの救いなき迷い人になることを意味している。

薄れるかつての高揚感、晴れない不審に溜まっていく不満、遂には耐え難いまでの失望感に繋がっていった。こうした負の連鎖によるネガティブな目測、それに何より絶対的な推しが依然として不在となることで、僕のアイドルに対する情熱はみるみる萎んでいくようだった。
あまり良い材料が見つからない今年という忌まわしい時節を、悪しき契機として脳裏に刻み込んでおくべきだろう。

アミューズ発、さくら学院を追いかけ続けてきた結果として、必然的に辿り着いたBABYMETAL。それは無論、SUYUIMOAの三人だからであり、世界を騒然とさせたカワイイメタルという絶妙な融合あってこそでもあった。
ベビメタのみならずアイドルとしても最も推してきた水野由結の不可解な離脱、そして脱退という最悪な流れ。長期に渡り隠し続けることで三人の一番良い時期を見られず、メディア露出しない、メンバーの発言を規制する等々、抑えつけるやり方を変えようともしない運営に対しても、ほとほと嫌気が差してしまった感じだ。
ダークサイドなどと称し、ベビメタの本質部分を蔑ろにする演出は愚の骨頂であり、もはや再生の道は途絶えたものと確信している。
来年以降はベビメタとの完全な決別を期し、あくまであの三人時代に起こした奇跡の数々を記憶に刻みつつ、徐々に気持ちの整理をつけていきたいと思っている。

水野由結の存在感
忌むべきダークサイドの演出
喪失感に満ちた終焉

今現在、唯一の推しているアイドルグループとなってしまったさくら学院。相変わらず研修生的な限られた活動に終始し、映像素材は有料配信に頼り、接触イベントも解禁されぬまま。アイドルと呼ぶには、あまりにも消極的だといわざるを得ない。
推しメンである吉田爽葉香は、モデル仕事を機に補正が外れ落胆が大きいし、性格やキャラクターに惹かれた新谷ゆづみは生徒会長になるも、来年早々に卒業である。来年度の転入生で相当に良い子を入れないと、さくらにさえ心が離れてしまいそうだ。
初代生徒会長である武藤彩未の復帰は、これらさくら学院における熱量の低下を補完するものではないが、元祖ともいえる彼女の頑張りが、現役生に何らかの好影響をもたらすのを期待してしまうのも確かであった。

少女らが回顧する場所
美少女の補正効果
散り散りとなった友情と絆

アミューズ勢以外のメジャーアイドルでは、ハロプロに関し記事にすることもなくなり、すっかり関心が薄れてしまったのは残念だ。若手のスキャンダルに続いて、OGによる凶悪犯罪が明らかにされたことが決め手になったようである。
そうした反動からか、少なからず乃木坂46など人気のある正統派アイドルに気持ちが向いたのも、また事実。大所帯なだけに、見た目やキャラクター、個性の魅力が多彩であり、興味をそそる娘が多かったというのも多分にあるが…。
地下に目を向けても、アングラの一種異様な雰囲気の中からキラリと光る原石を幾つも発見出来た。村田万葉櫻井佑音あたりは今後も目が離せないだろう。
その他、才能ある若手女優・子役としては山田杏奈大里菜桜、モデルの林芽亜里マジマジョ三好佑季といった優れた人材が来年飛躍出来るかどうかも、当然注目していく必要がある。

ハロプロ最大の危機
乃木坂46の総合力
地下アイドルに物思う時
凌駕されるアイドルの時代
少女が与えた命、そして苦しみ
混迷を深める地下界隈

半生を賭けて追い求めてきたものが少女ならではの美しさであり、理想に掲げるアイドル像に適う存在の出現であった。
どうにもままならない情勢に向き合うにつれ、僕はいつしか疲れ、胸に宿していたはずの熱を冷ましてしまった。それは同時に、ただ表面上の少女美のみを求め妄想に耽るだけの、単なる自己完結へと帰することも意味している。

さくら学院が唯一、この胸の内を燻らせる種火となった今、もっと幅広い視野でアイドルの世界を見通す必要があるのだと感じている。
過去の崩れ去ったものに別れを告げ、より新しく若さ漲る次世代の輝きを求めて。そんな風に自らに言い聞かせるようにして、来たるべき時代の足音に耳を澄ませたいと願わずにはいられない。

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2018/02/13

夢に想うオープンフィールド

SKYRIM

オープンワールドのRPGなどは、もうかなり一般的なものになってきているようだ。広大な大地をどこまでも進むことが出来て、あらゆる面で自由な遊び方が可能なように設計されている。主に、海外のゲームに傑作が多くある。
少し前のゲームだが、「スカイリム」というゲームに今でも没頭し続けている。非常に壮大な世界観で、何をするのもプレイヤーの自由。
特筆すべき点は、MODと呼ばれる改造データを使って自在にカスタマイズすることが出来るということ。キャラクターの美化や景観・天候の変更、好みの家や仲間を選んでゲームに付け加えることも可能だ。これのお陰で、未だにこのゲームを楽しめている。

アイドルの世界を例にとると、今現在の状況は残念ながら衰退期に入っている。国民的アイドルグループの影響を受けて敷居が非常に低くなり、素人同然の子がアイドルになることによって、下らない恋愛スキャンダルが頻発する由々しき事態となっている。
それと共に一過性のアイドルブームに流されるようにして、質の低い地下アイドルが乱立し、本来あるはずであった神秘性が大きく損なわれてしまった。要するに、修復不可能なまでに荒廃してしまったわけだ。

正直言ってしまうと、リセットしてしまいたい。全てを白紙に戻し、新たに自分好みに作り変えたい。僕がアイドルをプロデュースするとしたら、古臭いものになるかも知れないが、今よりはマシなものに出来る自信がある。
先ず、「登場するキャラクターを徹底的に美化する
ある一定のビジュアルを擁していない場合は、絶対にアイドルにはさせないということ。地下を中心に、昨今はメジャーアイドルでさえも水準を満たしていない子が多過ぎる。あってはならないことなのだ。
そして、「ディスクリプションを注視し評判を聞き、信頼に足るMODであるかを精査する
つまり、信頼関係を重視する点において妥協はなく、厳格な契約に基いて人選すること。以前に、恋愛禁止の契約条項を破ったことにより、裁判沙汰にまでなった地下アイドルがいたが、別段大袈裟ではないと思う。アイドルとしての禁を犯したのだから、謝罪し賠償するのは当然のことだ。
住む人の居ない大規模な家を多数建てるのではなく、質素でこじんまりした機能的な家を適所に建築する
多人数に及ぶグループの乱立を改め、少数精鋭のプロ集団と呼べるグループに絞り込む。メンバー数は多くても5人程度を上限とし、より高いレベルのパフォーマンスに磨きをかけるべき。ソロアイドルの時代へと回帰する心がけも忘れてはならない。
世界観に馴染む、いわばロアフレンドリーな雰囲気を大切にする
アイドルの王道を歩むにあたり、派手さや奇抜さは基本的に必要はない。時代を先取りするような斬新さも一時の話題性を求めるだけなら別だが、必須要素とはいえない。
元来からある、清純派アイドルとしてのイメージを踏襲するべき。例え使い古されたものであっても、ファンの期待を裏切ることのない存在感・雰囲気が必要であり、それこそが底知れぬ安心感と安らぎを与えてくれるのだ。

いつもスカイリムの大地を踏み締める時、現実にはない世界でありながら、まるでそこに存在しているかの感覚を覚えることがままある。それは確かなリアリティ溢れる感触が肌に触れ、あくまで夢まぼろしであるかの世界観が、そこに在るからに他ならない。
アイドルとは、儚い夢まぼろしであって然るべき。どこまでも精密に作り込まれ人々を魅了するのであれば、掴みようのない幻想であろうと構わない。ただ癒しと憧れをもたらし、夢の中で漂い遊べるオープンフィールドを頑なに求めているのだ。

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2017/12/30

2017年アイドル総決算

松野莉奈

アイドル界隈で盛んに囁かれる終末論、その象徴的な一年となった気がする。振り返るほどに暗い話題ばかりが思い浮かび、明るい話題など皆目見当もつかない。
国民的アイドルグループのメンバーが一大イベントの場で結婚宣言したり、事務所の期待を背負っていた有望若手グループがスキャンダルにまみれたりと、あまりにも非常識な現代のアイドルの振る舞いが、この世界の衰退を加速させているかのようであった。
死に逝くアイドル界を象徴するかのように、本当に命を失ってしまう現役の子まで出てきたりして、完全に混沌としてしまった。この暗黒の年を反復するのは気が引けるが、今一度、歴史の谷間をなぞろうと思う。

年が明けていきなり衝撃が走ったのが、私立恵比寿中学松野莉奈の急逝である。
現役メジャーアイドルの急死、それもかつて少なからず注目していた存在だっただけに、ショックは甚だ大きかった。
死という、夢に生きるアイドルとは全く結び付かない対極にあったはずのもの。それらが突然、渾然一体となった違和感が拭い切れず、現実として受け入れるのが非常に困難であった。
僕の中で最悪の印象として、彼女の存在を思い出させたきっかけとなった出来事。この深い悲しみは、忘れることが出来ないだろう。

生命の灯が消える時
輝いていた少女の情景

ハロプロ本体であるモーニング娘。から主要メンバーが卒業発表し、カントリー・ガールズの解体による移籍・兼任の一連の流れ。極めて悪い方向に進んでいたといえるこの流れは、とどまることを知らずに濁流となって若手の未来をも押し流した。
最も期待値の高かった若手のホープこぶしファクトリーの破綻。素行不良、相次ぐ彼氏の発覚、止まらない流出・暴露。予想だにしないスキャンダルの雨あられで、完全に沈没してしまったのが今でも信じられない。
一方で、全く何事もなく有線の賞を獲ったりしているつばきファクトリーが、こぶしに取って代わるのだろうか。レコ大最優秀新人賞も期待されているし、もうハローの未来は、この子らに託すしかないのかも知れない。

相次ぐ主要メンバー離脱
カントリー・ガールズ解体
こぶしファクトリーの終焉

BABYMETALに聞かれるようになったマンネリ感、そして過剰な搾取によるファン離れの傾向。まだごく一部だろうが、このまま運営の姿勢が変わらず、国内における厳しい露出制限までもが続くようなら徐々に失速していくに違いない。
いつまでも新曲も出さずに新展開もなし、高額チケットやコープスペイントで新規参入を拒む、メンバーは生の声どころかSNSさえ許されない。こんなことでは、ベビメタに明るい未来は訪れないだろう。
YUIMETALのライブ欠席により、電撃解散説まで現実味を帯びてきた今、早急に何らかの手を打たなければ危ないのかも知れない。
一方、さくら学院消極的な活動ぶりも相変わらずか。有料配信でのメディア露出に終始し、ライブ回数も少なく、接触は一切NG。
結構良い人材を揃えているだけに、こうしたいかにもな研修扱い、片手間感が実にもったいない。ベビメタ共々、アミューズには色々と反省して来年に臨んで頂きたいと切に願う。

素顔を解き放つ時機
刻まれた少女期の思い出
BABYMETALの不安な先行き

終焉を迎えつつあるAKB48の時代。いわば、素人をアイドルに仕立て上げる危うさを体現したかの惨状を露呈しているようにも思える。
突如としてアイドルが公の場で結婚発表する、漫画でもないような馬鹿げた話。正直いって、呆れてものも言えないほどであった。
かつて頂点を極めたAKBがこの有り様なのだから、アイドルの世界が終わるのも無理はない。必然的に、興味・関心の中心は単純に可愛い女の子子役やモデル若手女優へと移っていった。
今年ブレイクした浜辺美波を筆頭に、子役の大里菜桜、モデルの林芽亜里花田姫佳など、気になる存在は幾つか見付かった。来年も、下り坂のアイドル界隈よりも、フレッシュな子役やモデルへの注目は増しそうである。

国民的アイドルの終焉
待ち望まれる子役の新時代
浜辺美波の時代
現世にもたらされた造形美

確実に、暗黒の時代に突入したかに見えるアイドル界。本来であれば全ての人々に夢や希望を与え、生き生きとした活力をもたらすはずが、自己中心的な恋愛スキャンダルに奔走し、名実ともに今ある世界に死を蔓延させようとしている。

長年アイドルを追い続けてきた身として、この終焉を認めたくはない。彼女ら一人一人が、今一度考え直して欲しい。アイドルとは、どうあるべきかを。原点に立ち返り、心の奥底に固い信念を刻んで欲しいのだ。
新しい時代を築き再興を望むのなら、アイドルとファンが一体となり、この困難を乗り越える術を熟考するべき。そんな思いに囚われる、年の瀬であった。

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2017/05/14

尊厳ある死 安楽死

先日、献血回数が60回に到達した。だからといって、何か達成感があるわけでもない。最寄りの献血ルームが綺麗で居心地が良く、飲み物がタダで飲めて、ひと休みするには最適だからというだけの話だ。
こうして採取した血液やら血小板やらも、そのほとんどは後期高齢者の治療のために使われると聞いたことがある。加速する少子高齢化に、ひと役買っているというわけだ。考えてみれば、愚かな行為に違いない。
人間などというものは、身体が朽ちてきたら自然に任せ、死を受け入れればいいのだ。寝たきりや、まして認知症になってまで無理に生き長らえる必要などない。然るべき時が来れば、各々の価値観の下に尊厳ある死を選ぶべきなのである。

そういった意味においては、安楽死を肯定する立場にあると思う。いわゆる、末期患者重度の認知症を視野に入れた、オランダ式の積極的安楽死というものだ。
以前に、オランダの認知症老人が将来的な家族の負担を憂慮し、薬物による安楽死を選択したドキュメントを見たことがある。家族はその決断を悲しんだが、最後は自身の判断で薬を飲み、家族に見守られながら苦しむことなく息を引き取った。
実に素晴らしい最期だったと、感銘を受けたのを憶えている。僕には、近親者が同じような認知症を患い、重度に進行した上で亡くしたという経緯がある。認知症とは脳を破壊する病気であり、回復が見込めないのは知っての通り。初期から中期にかけては、妄想や徘徊、酷い場合は暴言や暴力が出ることもあり、介護者を疲弊させる要因になる。
僕の近親者のケースでは、約五年弱で急速に進行し、意思の疎通が全く出来ない重度になって病死に至った。最後は目の焦点も合わず、訳の分からない呻き声を発しながら死んでいった。あれが、人間の死に様とは到底思えない。

自分が何者であるかも分からず、多大な負担をかけた家族の顔も忘れ、死んでいくことの悲惨さ。人間の人格や心を形成するのは、脳そのものである。これが壊れたなら、それは紛れもない死そのものだといえよう。
積極的安楽死という制度を取り入れるべきだと強く思う。人間としての最期、終わり方というものは、個人や家族の手に委ねるべきだし、この権利が例え国家からであっても侵害されてはならない。
無論、厳格な基準に基づいて慎重に行われるべきなのはいうまでもない。認知症に関しては、一定年齢に達した時点で意思表示を義務化しても良いとまで思っている。つまり、将来認知症を患い、判断能力を失った時に安楽死を希望するかどうか。
家族に負担を強いてまで寿命を全うしたい人はそうすればいいが、恐らくそんな人は、ほとんど居ないだろう。間違いなく大多数の人が安楽死を希望するに違いない。誰もが、尊厳ある死を望んでいるはずだ。

途方もない規模の高齢化社会による社会保障費の増大にも、歯止めがかけられる。浮いた財源を、待機児童問題教育費の助成などに充て、より子供を育てやすい環境を整備すれば、少子化に絶大な効果が上げられるだろう。
しかし実際のところ、非現実的な話である。やれ倫理だ何だと、綺麗ごと大好きなこの国の国民性では、議論すらタブー視なのだから。政治家は票を取るのに躍起な無能ばかりだし、来たるべき超高齢化社会の抜本的対策は未だ皆無である。
まあ、元から長く生きるつもりもない僕には、正直どうでもいい問題でもある。ただ、楽に逝ける方法を国家が提供してくれるなら有り難いな、という程度の話だ。
極端な話、自殺志願者に安楽死を適用しても、自殺者が増えるどころか大幅に減ると思う。いつでも楽に死ねると思えば、それが却って生きる活力になったりするもの。少し考えれば、誰でも分かることだ。

成分献血は、一時間ほどかかることがある。そんなことを取り留めなくぼんやりと考えながら、血を抜かれていた。僕は最近、死に取り憑かれているのかも知れない。あまり良い兆候ではないのだろう。
ただひたすらに、美少女に惹かれ続けた半生。僕が本当に追い求めるのは、無垢な少女に癒される妄想にどっぷりと浸かったまま、仮の充足感に満ちた心境で最期を迎えることに相違ない。つまるところ、安楽死である。

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2017/04/22

輝いていた少女の情景

松野莉奈

二月に亡くなった、私立恵比寿中学松野莉奈さん。今でも時折思い返し、物悲しい気持ちに苛まれるが…動画を探す内に、彼女のソロ曲があるのを見つけた。
僕はエビ中の結成初期、りななんが加入して間もない頃に推していた限りなので、全く知らなかった。「できるかな?」というこの曲は、少女の願望や夢を率直に綴った飾り気のない、りななんらしいナンバーである。
拙い歌声だけれど、一生懸命に歌うりななんは眩いほどに輝いて、胸を打たれるものがあった。生命力に満ち溢れたその姿は、無論、死というものとは全く無縁であり、確かな少女の魂ともいうべき輝きが集約されていたのだ。

心を掴まれて引き込まれるようにして見ていたのだが、最後の語りの部分で、思いがけず号泣してしまった。普段、滅多に泣くことはなく、男のくせに人前で涙を見せる輩を軽蔑しているほどだ。しかし、どうしても心を揺さぶられ涙が止まらなかった。
どうして、彼女は叶えられなかったのか。夢や希望に溢れた未来を、なぜ手に出来なかったのか。そこに確かに存在していたはずの生命は、何処へ行ってしまったのか。全てが無情にも掻き消されてしまったのか。
彼女は、もうこの世にいない。幻のように、儚く消え去ってしまったのだ。あんなにも光り輝いていた命の灯が、こうも簡単に吹き消されてしまうなんて…。

生の延長線上に死があるのではなく、生きている以上、常に死が傍に寄り添っている。生と死は、表裏一体なのだと思い知らされる。
死によって存在が消され、人々の記憶にのみ残される。「心の中で生きている」などと、青臭いことは言いたくない。どんなに愛されていたとしても、いつかは色褪せて忘れられる時が来るだろう。
しかし、僅かな痕跡は残るのかも知れない。これだけ輝いた瞬間が、一生の内に有り得た人であるならば、それは確かだろうと思う。
僕は、りななんの死によって、自らの死を強く印象付けられた気がする。有り難いことに、僕の死は他者に何ら影響を及ぼさず、文字通りの消失でしかないという事実を再認識することにより、自らの終末にのみ意識を集中することが出来るはずだ。
僕はもう、そう長くは生きない。この無様でつまらない人生を、ある程度のところでシャットダウンするべきと考えている。人それぞれの人生、思うがままに生き、もう沢山と思えば死を選ぶのが何より幸せなのだ。

いつか上手に、お別れができるかな?
彼女は死に、僕は生きている。不条理にも思えるが、これも運命なのだろうか。しかしながら、この別れは、胸の内を引き裂くように痛々しく苦しい思いを募らせる。
いつか死の床についた時、開かない目蓋の裏に、輝いていた少女の情景を見るだろう。どんなにか美しく、得もいわれぬほどに光の帯を纏った美少女が歌う、その姿。
信じられないような再会を経て、僕の心に浮かび上がるのは、あの透明感溢れる松野莉奈の輪郭なのだ。

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2017/02/09

生命の灯が消える時

松野莉奈

非常にショッキングな知らせが舞い込んできた。私立恵比寿中学のメンバーである松野莉奈さんが急死されたとの一報、にわかには信じられない、あまりに悲しすぎる訃報だ。
体調不良によりコンサートを急遽欠席する旨の告知から、たった一日。若い命は、あっという間に失われてしまった。
言葉で言い表せないほどの大きな衝撃が、全身を貫いた。死因は未だ明かされていないが、恐らく病死とのことである。

りななん」の愛称で親しまれていたこの子は、エビ中初期からの主要メンバーで、高身長を活かしモデル業でも活躍した存在感のあるタイプだったと記憶している。実際に、加入当時の小学生時代には、背が高くて少し天然な雰囲気が僕の興味を引き、爽やかで清楚なルックスも相まって、一時期ではあるものの確かに推していた時期があった。
(参照:一瞬の映像に生きる少女達
とても健康的なイメージもあり、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。全くもって信じられない思いで一杯だ。
スターダストには、ももクロ妹分のグループ3B juniorのメンバーがテレビ収録中に倒れ一時重体となる、いわゆるヘリウム事件があった。そのメンバーは幸いにも後遺症もなく回復したが…ここにきて妹分一番手であるエビ中で、こんな最悪なことが起きてしまったのだ。
一体全体、どうなっているのか。スタダは呪われているのか!?
想像を越えるようなショックを受けているであろうメンバーが気がかりだが、場合によってはエビ中解散も有り得る危うい状況だと思う。しかしながら志し半ば、無念の内に亡くなった彼女を思えば、他メンには何とか頑張ってもらいたいと願うばかりだ。

さて、かように弱冠18歳にして儚く散ってしまう命もあるという冷徹な事実に直面したわけだが、この何の役にも立たない哀れで孤独な中年が、今なお生きているのは果たしてどういうことなのだろう。
人間は死ぬべき時には死ぬものだ」。両親を一晩もしくは一日二日で相次いで亡くした僕は、この思いを強くしたはず。そうはいっても、死んでも誰も悲しまず何ら影響のない人間の命と、若くて可愛い将来性溢れる女の子の命では、重さがまるで違うだろう。
それでも、非情なまでに運命というのは頑なだ。僕は常日頃から、生と死について考えを巡らしていることが多い。特に、死に関しては関心が高い傾向がある。自らの死は、常に意識するよう心掛けている。
死とは、深いようでいて実は至極単純なのかも知れない。意識の消失、その限定された状態が深い睡眠であり、目覚めることのない状態が死であるとほぼ推定出来る。つまり、死する本人にとっては、それほど恐れるべくでもないわけだ。
問題は、やはり遺された者の傷心であり、死によって永遠に断絶された状態を絶対に変えられないことである。当たり前だろうが、死人とはもう二度と会えないし、会話することも触れ合うことさえも一切許されない。例え自分が死んだとしても、会えるわけではないのだ。

脳梗塞で一晩で死んだ母親。つい二日前まで元気に会話していた相手が、ただ固くなって横たわっていた。
葬式で冷たくなった母親の頬をそっと触れた感触が、今でも忘れられない。もはやそれは、人間ではなく冷たく重い物体でしかなかった。
人間は皆、そうやって死んでゆくのだ。そこにあるべき命というものは何処かに抜け出して、抜け殻のような入れ物だけを残していく。
魂とでも呼ぶべきそれらは空に吸い込まれ、やがては果てのない宇宙に拡散してしまうかのように。

失われることの虚しさ。僕が自分の命を軽んじるのは、遺される者が居ないから。生命の灯が消える時、最も大きな悲しみが生まれるとすれば、その人を大切に思い、深い愛情を感じる人間が確かに存在している場合に限られる。
かつてのあどけない面影に魅了された人間の一人として、松野莉奈さんに謹んで哀悼の意を表したい。

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2017/01/02

重圧から始まる新年

森戸知沙希

年末恒例の総決算記事を見送ったのは、少なくとも僕個人の中では異例な事態である。アイドルに対する熱が冷めるにつれ、注目すべき事柄が限られてきており、総括するほどのものがなかったからといわざるを得ない。
このままアイドルに何ら関心を抱かなくなってしまった場合、このブログを継続する意味がなく、閉鎖することになり兼ねない危機的状況に陥るだろう。同時に、生き甲斐を失くした僕の人生も、いよいよ終わりを迎えるのかも知れない。

昨今は、特に生活そのものに張りがなく、精神的にも肉体的にも力が湧いてこない状態が続いている。生物としての死というのは、いわば自然発生的に、こうした怠惰な成れの果てに訪れるものか。必然なのかも知れないと、心のどこかで感じているところだ。
兎にも角にも、哀れな中年世代での最期を避ける為にも、今しがた注視している少女らの現状と今後の要望を反芻しておきたい。

ハロプロにおける、静かなる空洞化。顕著なモーニング娘。を始めとして、若手ユニットにも絶対的な存在は見当たらない。
前記事でも言及した通りの印象薄い新メンバー、これにより本体の将来が不透明になってしまった。加えて、小田さくらとのダブルセンターを画策していたと思われる佐藤優樹が、椎間板ヘルニアで休業する事態に…。雲行きは悪くなる一方だ。
カントリー・ガールズ嗣永桃子が引退、やはり不安要素が大きいが、主要メンである森戸知沙希が髪を下ろして確変するなど、若手の底上げが少しは期待出来る現況か。個人的にも地元出身というのもあり、頑張って欲しい。
こぶつばに関しては、こぶしの一時期の勢いに陰りが見える中、つばきファクトリーはようやくメジャーデビューを迎え、唯一の光明を見い出せるだろうか。新加入の小野田紗栞は早くもセンター扱いされており、美少女としての期待度も高いので注目すべきだ。

さくら学院アミューズ勢も、粒選りでありながらグループの顔になり得る存在が居ないのは同様。知名度と経験豊富なプロの立ち回りで無理矢理引き抜かれた?黒澤美澪奈が今年卒業、次期生徒会長山出愛子で確定だろうが…ビジュアルと印象不足により、かなり不安定要素が強いといわざるを得ない。岡田愛日髙麻鈴といった個性の強いメンバーにより、うまく乗り切って頂きたいものだ。
その他では、吉田爽葉香森萌々穂が成長し、存在感を増すことに期待するしかないだろう。いずれにせよ、春の転入生には大注目だ。
現状、僕が最も心動かされているBABYMETALは、もはやアイドルを捨て、世界的アーティストの領域に入ってしまった。国内露出の減少は紅白落選により決定的となり、海外の大物とのコラボに終始している状況が早くも見えてきている。
最も推しているゆいもあ水野由結菊地最愛)が今年18歳に達し、アイドルとしても厳しい年齢に差し掛かりつつある。恐らく今後も、世界基準での海外活動がメインとなるのは確実であり、距離感は遠のくばかりだ。世界に羽ばたく姿は嬉しくもあり寂しくもある、複雑な心境に見舞われている。

若手女優、子役の面では、やはり人材不況を感じ得るが、限られた中で注目に値する存在が居ないわけではない。
芦田愛菜の系列を断固として否定してきた僕ではあるが、彼女も12歳となり、それなりに可愛く成長してきたと認める。しかしながら、当然として追い求めるのは、非の打ちようのない美少女。それに今一番近い存在が、篠川桃音と断言出来るだろうか。
国際映画祭に出展する新作映画「淵に立つ」でも、輝くばかりの可愛さにより共演者をメロメロにし、演技も折り紙付きという噂。多大な期待を寄せるに値する、美少女子役の誕生を目の当たりに出来るのかも知れない。
アミューズのバックアップが珍しく正常に機能している感の、山田杏奈の活躍にも目を見張るものがある。さくら学院へのアイドルルートが断たれたのは残念だったが、その卓越した美少女ぶりはそのままに、女優として順調なのは嬉しいばかり。
咲-Saki-」実写版でも主演級の扱いであり、業界の評判も上々のようだ。正統派美少女としての質が飛び抜けて高いだけに、女優以外でのグラビア展開、トーク番組出演なども大いに期待したい逸材の一人といえる。
篠川桃音

年明け早々、全てにおいてマイナスから出直しするかのような、ネガティブな感情に浸っているのが何とも情けない。
なぜ、前向きになれないのか、なぜ、未来に希望を持てないのか。いわずと知れた話だろうが、僕にとって泥沼の中で握り締めた命綱が美少女であり、アイドルであったのは誤魔化しようのない事実なのだ。

数十年に渡り想い続け、憧れを抱いたことへの功罪。今にして、ひしひしと心の重圧と化している。この愚かなる半生に報いるとするならば、いわずもがな渇いた胸中を満たし、今一度燃え上がらせる珠玉の美少女との出逢いに他ならないのだ。

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2016/09/30

拡大解釈による暴走

小学生の女児に露出の多い水着を着せたDVDを製造・販売したとして、関係者数名が検挙されたとの報道を耳にした。
このDVDはモザイク処理されていたが、パッケージに見覚えがあり、女の子の名前や作品名などすぐに特定することが出来た。購入したわけではないので詳しくは分からないが…かなり生地面積の小さい水着による大胆なポージング、下着を連想させる擬似パンチラなどを含んだ内容らしく、いわゆる「着エロ」と呼ばれるものに限りなく近いといえるようだ。

ただ、問題とするべきは、あくまで水着を着用しただけのイメージビデオを児童ポルノと断定し、逮捕にまで踏み切った点である。
いうまでもなく、児童ポルノ禁止法が、法律として極めて不完全なまま施行されているのは周知の事実だ。児童ポルノをはっきりと定義付けすることなく、衣服の一部を着用しない云々、性的に刺激するもの云々といった風に曖昧な表現に止まっている。
衣服の一部というのが水着を意味するのか何なのか、無論、性的に刺激を受けるのは人それぞれであり、千差万別であるのも当然の話であって、まるで不明確なのだ。
つまり、恣意的に拡大解釈することによって、どんな事案であれ検挙出来てしまう危険な状態にあるといっていい。例えば、水着どころか上着一枚脱いだだけで児童ポルノと認めることも出来るし、服を着ていても胸の大きい子は強調されたとして、取り締まる側の主観ひとつで逮捕拘束出来てしまう。もう無茶苦茶である。
児童の裸以外を取り締まりの対象とするなら、明確な定義付けが不可欠だ。水着の形状を特定した上で指定する下着を想起させる類いのシチュエーションポージングやカメラアングルに至る全てを、こと細かに定義されていなければならない。
もし、それが出来ないのであれば、明らかな児童の裸のみをポルノと認定するより他はない。今回の報道で知った一連の事案は、法的解釈を逸脱したやり方であり、明らかに暴走だといわざるを得ないだろう。

そもそも、水着をポルノと認めること自体おかしい。水着がポルノなら、学校の水泳の授業はポルノを奨励しているようなものだし、小中学生の水泳大会は児童ポルノ大会ということになる。
小学生の水着が問題視される風潮もあるが、なにも今に始まったことではない。あくまで芸能活動の一環としての写真集やイメージビデオならば、何十年も前から当たり前にリリースされ続けている。
それどころか十数年前には、子供の裸がドラマやCMを通じてお茶の間に流されていた。芸術としても扱われ、それこそ小学生だろうと幼女だろうと、様々なヌード写真集が溢れていた時代があったのだ。
当時は、それが健全なものであり、嫌らしいと考える方がおかしいと思われた。それが、欧米の規制強化の波に呑まれるようにして倣い、本来必要ではない規制を強めたわけだが、果たしてその成果は挙がっているのだろうか?
はっきりいって、何の結果も出せていない。規制前と後を比べても、性犯罪等の発生件数はほぼ横ばい、児童虐待の件数に関しては増加傾向にあるとまで聞いている。それでも、規制の厳しい欧米諸国に比べれば、日本は圧倒的に少ない。要するに、全く必要のない規制強化だったということが明白なのである。

子供を守るのであれば、昔からあった地域による見守りの体制を最優先にするべきだろう。
昨今は声かけ事案等で、挨拶したり道を尋ねたりしただけで通報されるご時勢である。これでは、誰も子供に関わりを持とうとは思わないし、何か危険を察知していても、見て見ぬふりをするに違いない。(参照:束縛された世界の行く末
いたずらに規制を強め、他人を信用せず不審がるだけでは、犯罪の抑制どころか、それを助長し兼ねない悪循環に陥るかも知れない。

僕は決して児童ポルノの規制に反対しているわけではなく、適切な解釈に基づく「着エロ」を始めとした行き過ぎた水着の規制には賛成する立場だ。ただ、今の法規制の状態があまりに酷く、現行の児童ポルノ禁止法には法改正が必要だし、それが出来ないのならば廃止にするべきだと考えている。
少なくとも、極めて健全な内容である水着イメージビデオ等が規制されることがあってはならない。あくまでも少女ならではの爽やかで純粋な魅力、それを演出する重要な一面を担っているのが水着であり、芸能の世界でアピールするには決して欠かせない。
一方的な解釈による抑圧は、適正な規制とは程遠いものであり、むしろ逆効果になり得るということを知って頂きたい。その点を、殊更に強く意識するべきだと思う。

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2016/05/23

痛ましい事件の教訓

とても悪いニュースだが、例の女性アイドル殺人未遂事件を取り上げずにはいられない。
いわゆる、ファンがアイドルに傷害を負わせる事件といえば、以前のAKB48握手会における凶行が思い浮かぶが…今回の件は、ストーカーと化したファンが思い余った末の犯行であり、性質が全く異なるものだ。
いわばフリーの地下アイドルであった被害者は、一般人と何ら変わらず単身でライブハウスに出入りし、そこに入り待ちしていた加害者の標的となった。通常であれば、マネージャーやスタッフと同行した上で、関係者出入り口などを使うはずである。非常に無防備であり、狙いやすかったといえる。
動機は、SNS上でのやり取りにおけるトラブルか。警察への相談もあったほどなので、よほど酷い行為があったのか。いずれにしても、この加害者がファンという立場を忘れ、暴走したことが原因であるのは間違いないだろう。

これを受けて、握手会等のチェックの強化、もしくは中止になる事態が早くも起きているようだ。しかしこの事件は、握手などの接触系イベントとは直接関係のない、悪質なストーカー事案だということを忘れてはならない。
僕は、かねてより、握手会など一定のファンとの距離感を重視する催しには肯定的である。推しであるさくら学院が、頑なに接触を拒絶することに対しても、常に疑問を呈してきた。
(参照:柔軟な演出と握手会の必要性
ただ、SNS上でアイドルとファンが個人的な交流を持つことには、いささか否定的である。ブログ等でも個別にレスするのではなく、全体を通しての返答を記事中ですれば十分だといえる。
あくまでも距離感のバランスが大切なのであり、全く握手会もしない、または密接に交流をし過ぎる、これら双方共に良いとはいえないのだ。今回の事件は、地下アイドル故に、ファンとの交流を深めようとする真摯な思いが、かえって悲劇を招いたと考えることも出来る。

今回の件を経て、各種イベントのセキュリティが強化されることはあっても、握手会などが廃れることがあってはならないと思っている。
70年代のアイドル創成期以来、受け継がれたアイドル文化として、握手会はあるのだ。販売促進の意味合いがあるとしても、ファンにとって貴重な触れ合いの場でもあり、アイドルを語る上で決して外せない大きなファクターであることは変わることはない。
それと同時に、今回のような事件を起こしたのは異常気質の犯罪者であって、アイドルファンとは呼べないことも付け加えておきたい。
アイドルを純粋に応援するファンの大半は、きちんとした良識があり、アイドルが手の届かない存在だと認識している。そして、その成長を見守り、ささやかな非日常の喜びを共有する。現実感のない夢に漂い遊ぶことで、十二分に満足出来るのだ。

アイドルとしての振る舞い、それらを形作る定義が何ら変わることなく、万が一に備えての万全の保安体制を確立させていく心配りを、サポートする側が常に有すること。それが今、最も求められている。
ひとつの事件で萎縮するのではなく、アイドル、ファン、スタッフ三者三様に、初心に帰るきっかけとするべきであろう。

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