2020/03/09

苦しくも愉快な末路

推し武道

コロナの話は、さて置いておきたい。朝から晩まで新型ウイルスの話題ばかりで、いい加減気が滅入ってくる。
ここのところはコロナより、脳細胞を破壊するウイルスにやられたかの如く、日常において精彩を欠いている気がしている。思考停止状態。まるで脳が退化したような、索漠とした安寧に身を委ねているようだ。

以前は全く興味がなかった深夜アニメが、密やかな愉しみとなっている。それも、子供染みた馬鹿馬鹿しい類いのもの。昔は、エヴァのような大人向けの重いものは見たことがあったが、こうも馬鹿げたものを楽しんでいる自分が正直信じられない。
戦国武将が犬に転生する「織田シナモン信長」、地下アイドルの女ヲタが主人公の「推しが武道館いってくれたら死ぬ」など。もう何ていうか、深夜に冴えない中年が見ていたら痛い代物なのだが…本音をいうと、面白いと思えば何でもいいといった節操のなさが染み付いた印象でもある。
日曜はファントミを見て、深夜夜更かしで馬鹿なアニメを見る。こういう人生で結構だ、どうぞ笑ってくれと声を大にして言いたい。

自虐はさておき、この「推し武道」なんぞはドルヲタ歴30年以上になる身からして、正統かつ濃ゆいヲタっぷりが最高にむさ苦しい次第で、共感というよりは微かに感動を覚えるほどであった。
主人公のえりぴよは、パン工場のラインで働き、着るものさえ買わず全てをヲタ活に捧げるジャージ女子。暑苦しいくらいの愛情があり、推しの反応に一喜一憂する様子や、決してプライベートには踏み込まない礼節さも弁えている点など、ドルヲタの見本となるキャラクターに好感を覚える。握手会の複数買いによるループは感心しないが、いちいち熱い心理描写があり、武道館に押し上げる熱意はよく表現出来ているのでは。
実際の武道館はアイドルライブに限っていえば、大半は「武道半」であり、もはや夢の舞台でもない。しかしながら、聖地の象徴としての役割は未だあり、アニメの中でテーマとされるのはごく自然な流れのように思える。
そして、えりぴよが強力に推す市井舞菜が、非常に好みのタイプである。シャイで人見知り故の塩対応、相手を思うが故の頑なな対応がリアリティがあり、不器用ながらの優しさが滲み出る感じが堪らない。それに何といっても、髪型がツーサイドアップ清純派アイドルの醍醐味は、この髪型にあるのだ。もう一度いおう、ツーサイドアップである。

そんなわけで、深夜アニメを愉しみ、ゲームに興じ、美少女アイドルに現を抜かすのが休日の常。日がな一日引きこもることに、ささやかな幸福感を得られる僕には、新型ウイルスなど無縁というわけである。
重症肺炎に罹患して苦しんで死ぬよりは、長大なるドルヲタ人生に終止符を打つでもなく、オタクコンテンツの甘美な苦痛に身を投じていたい。そんな心境に侵され、不愉快な生き様を歩んでいる現実が皮肉めいていて、むしろ痛快でもあるのだ。

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2020/02/19

サヨナラの傍観者

森崎美月

ある女子高生が自殺をした。彼女はそれを配信していて、電車に飛び込む後ろ姿が映されていた。
僕は不謹慎ながら、非常に清々しく美しい光景だと思ってしまった。死を覚悟し、何ら躊躇することなく踏み出した行為が、さりげない日常の中で展開されていく感覚。そんなことが起こっても、ひたすらに乗客は冷静で、ホームには柔らかな陽射しが降り注いでいる。

若いのにもったいないとか、命を粗末にするなとか、人に迷惑をかけるなとか。本当に死を決断する人にはそれぞれ事情があり、心に秘めた痛みや苦しさは誰にも分からない。一人の若い命が終わりを迎えた時、他人が好き勝手を言うものではない。
それに、無闇に自殺を止める輩にも嫌悪を感じ軽蔑している。自殺を止めるのなら、その人の深い苦しみを背負い、完全に救済する責任を負うべきである。それが出来ないのであれば、単に自己満足に浸りたいだけの無責任極まりない偽善的行為であるというしかない。
僕がこの女子高生の傍にいて、不穏な動きを察知しても、きっと何もしないだろう。ひとつの命が潰えるのに立ち会った機に、ただ静かに心の中で別れを告げるだけだ。

少女の儚い時、それは短すぎる時間故に、かけがえのない稀少さがあると思っている。これまで長い時を経て、幾つもの尊い時間が失われてきた。いうなればそれは少女期の死であり、もう二度と会うことのない面影に他ならない。
数えきれないほどの死、別れを経験する中で、いつしか僕の中には思い出という名の屍が累積していった。身動き出来ぬまま埋もれるようにして、僕はその死を肌で感じ、そしてそれを糧に生きる術すらも学んでいた。
それでも少女期の死を看取る度に、また新たな喪失感と空虚な心持ちに繰り返し悩まされることになる。

スターダストCM部門に所属していた森崎美月が、昨年末にニコ☆プチモデルとして新たな活動をスタートさせていた。
およそ四年ほど前にUSJのCMで見かけて以来、痛烈に虜となり、熱い視線を送ってきたが…その後は、これといった新展開もなく、長い月日が経過してしまっていたのだ。
(参照:王道アイドルを物思う時
そして、その初めての自己紹介動画を見る機会があったのだが、残念ながら落胆を禁じ得なかった。似合わない変なパーマをかけた髪形に、年齢に不釣り合いな大人びたフォーマルな装い。思いのほか声も低く、かなりイメージとかけ離れた印象が強かったのだ。
まだ六年生であるものの、若干、面長劣化の兆候が見え始めているのも気になった。顔の輪郭が縦に伸びるタイプのものだが、この系統は劣化のスピードが通常よりも速い傾向がある。
USJCMの頃の、眩いばかりの美少女ぶりは影を潜めつつあるのか。僕の中で、また一人、忘れ難き少女期が思い出だけを残して去っていくようである。

ただ逝くためだけの命。此処にこうして生きていることは、須らく在るだけの自然の摂理であり、単なる偶然に過ぎないのか。
ひとつ信じるものがあるとすれば、本能に訴えかけるかの美しさ、未完成であればこその一瞬の輝きに他ならず。
去りゆく少女の時は、永遠に心の中で留め置かれる。絞り出すようにして発したサヨナラが、いつか出逢えた喜びを顧みるかに散り散りと胸の内を舞っていく。僕はただ、置き去りにされた傍観者でしかなかった。

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2019/12/30

2019年アイドル総決算

佐藤愛桜、木村咲愛

癒しを求める思いとは裏腹に、着実に芯まで冷却された期間。そういった印象を深く覚えた一年であった。
忍び寄る老いと朽ちる肉体と共に、日常に染み込んだ完全なる孤独との葛藤。少女に癒しを求めるのが、最後に残された生き甲斐だったはずだが、それももはや危うくなりつつあるというのか。
長きに渡り注目し、興味を掻き立てたグループから心が離れ、行き場を失った空虚な心境が浸透してゆく感覚。令和の希望ある新たな時代とは、およそかけ離れた自然災害に見舞われたこの年にも似て、個人的な意味合いでも暗雲立ち込めた感は確かにあったようだ。

先ず、閉塞的な心境に陥らせてくれたのが、BABYMETALとの決別である。
決定的だったのは水野由結の脱退に他ならないが…遅過ぎたアナウンスや株主総会での言い訳、メンバーや関係者の口を塞ぐ秘密主義なやり方等々、数え上げればキリがないほどの不始末の数々に嫌気が差したのは言うまでもない。
その後、元モーニング娘。エースの鞘師里保サポメン採用や、さくら学院生のサポート、髪型や衣装の現状復帰など柔軟性を見せたものの、皆が納得し得る方向転換とまではいかず、人気の復活には至っていない様子である。
個人的には、水野由結への思いを断ち切れていない点だけが苦しいところ。今なお、過去のBABYMETALの映像を振り返ること多々あり、この形容しようのない胸苦しさを何とかして欲しい。一刻も早く、このことだけは気持ちのケジメを付けたいと願うばかり。

カワイイメタルを引き継ぐ者
鞘師里保、BABYMETAL電撃加入!?
水野由結の呪縛とさくらの異変

現状、最も推しているグループとしてのさくら学院に対する熱量低下は、僕のメンタリティの危険水域だといえる。
育成機関」と、いわば言い訳をすることで活動を意図的に狭める手法の愚かさ、推しメンを始めとする主要メンバーの部分的劣化、そして来年度の卒業離脱に際しての不安感など、ほぼマイナス要素しかない状況が続いていくことは一層に深刻だ。
どう考えても「映え」ない白鳥沙南もしくは野中ここなが率いるであろう次期体制には、魅力を感じることは甚だ難しい。転入生は良い面子ではあったが、決め手に欠けるものがあったのも否めない。
来年度以降、当面は佐藤愛桜を仮の推しメンとしていくしかないが、アミューズのキッズ部門にはオーデ通過の良質な原石がゴロゴロしているので、これらを転入生で迎え入れられれば救いはあるのかも知れないが…。期待するしかない。

少女らしく輝ける選択
さくら学院の新戦力
孤高の美少女、胸に秘めた悲哀

ここ数年に渡ってハロプロから遠ざかったのは、不本意であったとしか言い様がない。若手の堕落が大きいが、選りすぐりの新戦力を補充する上で、円滑な世代交代が停滞していることも一因であるように思えている。
ここにきて少しだけ僕の心を引き戻しているのは、やはり新世代の加入である。ビジュアル要因スキルメンキャラクター推しといった明確な区別によって、彩り豊かでバランスに富んだ新人を確保出来たのは好材料だったろう。
ただ残念ながら、古株で卒業したのがアンジュルム和田彩花Juice=Juice宮崎由加くらいで新陳代謝が促進されていない印象が根強い。特に、本体であるモーニング娘。には、未だに高齢の9期10期が居座っており、世代交代を阻んでいるのは頂けない一面だろう。
勢いのある新ユニットも登場しているし、全てがフレッシュで爽やかな若い世代のハロプロを見てみたいと望んでやまない。

ハロプロ変遷の時
若き精鋭の可能性

アイドルへの興味が薄れるにつれ、全く別のジャンルの美少女、或いは混沌とした地下にまで目を向けてしまう傾向は、どうしても出てきてしまうもの。
近年、話題の絶えない美少女特撮モノというのは、アイドルとは別ジャンルでありながら、若くビジュアルの良い女の子を起用しヒロイン化することで、子供のみならず、大人の美少女マニアすら虜にする特殊な魅力を放っている。
かくいう僕も日曜の朝には醜態を晒しているし、ファントミの動画を検索したりしている。画面に映る煌びやかな映像で演出された推定中学生の美少女は、何やら麻薬的な中毒症状を僕に催させるようである。
そして、地下において稀に見られる特段の美少女と、驚くべき才能有する存在の発見。これら極めて稀少な事例ではあるものの、決して見過ごすことの出来ない奇跡との遭遇といっても過言ではなかろう。

減りゆくアイドルのメディア露出
少女の奇跡の発露
原石を活かせない悲しみ

ここ数年は、決まり文句のようにネガティブな印象ばかりを年末に吐露しなくてはならない状況に置かれ続けている。
アイドル全盛の時代は確かに終わったのかも知れないが…どんなに時を隔てても、夢溢れるアイドルを志す少女、そのポジティブな魅力は決して色褪せることはないと信じていたい。

いつしか、人生の最期にまどろみの中で出逢える美少女、アイドルとして軽やかに舞うイメージを幾度も思い返しては、心満たされた心境で消えていける。そんな年が来ることを、ひたすらに待ち望んでいる。

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2019/06/06

命の重さと直面した問題を考える

例の殺傷事件など見ていると、命というものを考えさせられる。報道の仕方や現場に山積みになっている花束など、子供が巻き込まれた事件の扱いをとっても、いかに大きな影響を与えているかが分かる。

遠方から来て花を捧げ、涙すら流している人々への違和感。殺された子が可哀相というが、病気で苦しんで死んでいく子も沢山いるし、それを言い始めたら全ての死人が可哀相である。赤の他人が死んで泣いている自分に酔っているのだろうか。理解し難い行為だ。
冷たい考え方に思われるかも知れないが、死とは全て同一のものである。病気で死のうと、事故で死のうと、誰かに殺されたとしても、死は単なる死でしかない。死者の為に出来ることなど何もない。どんなに花を手向けようが、盛大な葬式をあげようが、それは残された遺族を慰めるものでしかないのだ。
もしも、僕がこの事件現場の近くに住んでいたなら、通りがかりに、そっと手を合わせるくらいはしただろう。事後処理の手間を考えたら、花など手向けるべきではない。ほんのわずか、気持ちを添える。その程度で十分だと思う。

これが子供でなく、老人だったらどうだろうか。世間から忌み嫌われる無職中年男だったらどうだろうか。マスコミは大して取り上げないし、花を捧げて手を合わせる人も少数の物好きだけに違いない。
要するに、人の命にはそれぞれ重さがあるのだ。未来ある子供の命は重く、先のない老害や社会のお荷物の命など軽いに決まっている。
誰も公の場で一切口にしないが、これが誰しも思っている真実なのである。いうまでもなく、ごく当たり前の認識となっているはずだ。

犯人に対しての「独りで死ね」という発言に関し、賛否両論があり議論が盛んになっていると聞いた。
命が大切だ、殺されて可哀相と言っておきながら、一方では犯罪者の命は軽んじている矛盾が生じている。というよりも、あの発言は引きこもりで自殺を考えるほど悩んでいる人達に向けられたものと理解している。尚更、たちが悪いだろう。
就職氷河期世代、僕なんかもそれに該当し、非正規の仕事で日々の生活は苦しい。時に仕事の空白期間もあり、そんな時期は引きこもりがちになる。それだけに、僕は自分が「死にたきゃ勝手に独りで死ね」と言われた気がした。
別にいわれるまでもなく、僕は独りで死ぬつもりだし、誰かに迷惑をかけるつもりもない。だからといって、声を大にしてそう言われたら、嫌な気分になるし不快感しかない。もっと深刻な状況に置かれている人であれば、大いに腹を立てるかも知れない。

要は、切捨ての解釈なのである。社会の寛容さが欠落した故の自己責任論で、中高年引きこもりの問題を回避し続けてきた。その負の側面が、次第に露呈してきたのだろう。
犯人の家族は、14回も役所に相談に訪れていたという。明らかに困り果てているのが分かるのに、ようやく出した答えは「手紙を書け」である。恐らくは内容や文言に関する注意事項もなく、素人の思いつきのようなものと推測される。
結果、手紙の中の「引きこもり」という文句に逆上した犯人が、これをきっかけに犯行に及んだ可能性も取り沙汰されている。社会の冷徹な対応が、こうした事件を引き起こしたというわけだ。

危険地帯と知りながら赴いて、テロリストに捕まる。いわば、こうした類いの自己責任とは種類が違う。
最初は誰でも頑張ったし、より良い方向へと向かうはずだった。しかしながら、人間関係や体調不良、リストラなどに悩まされ、心ならずも引きこもりになった人が大多数であろう。そうした人達にまで自己責任論を押し付け、救済しない社会。これが正しいと思う方が、よっぽど異常である。
本当に悩みを抱えている人がいれば、積極的に関わって解決していく制度が必要だし、企業も再就職をもっと支援するべきだと思う。
人手不足だから外国人ではなく、就職したい日本人がいるなら、年齢や経歴を問わず雇用していくべきだ。そして当然、正規雇用にしていくのが望ましいが、非正規であったとしても、待遇改善が必要なのはいうまでもない。先進諸国においても、これほど非正規が虐げられているのは恐らく日本だけだろう。

命が平等というのであれば、それぞれの人生も平等に希望あるものでなければならないはず。
子供が死んで可哀相と泣いている場合じゃない。置き去りにされた大きな問題を今一度よく考え、こうした凄惨な事件が二度と起こらないように根本的な策を練る必要がある。それは警備員を増やすとかでなく、高齢引きこもりへの抜本的対策に他ならない。
子供が可哀相と泣きながら、独りで死ねと罵る人々には、虫唾が走るような嫌悪感しか感じない。いい加減、綺麗ごとは止めにして、今ある問題を直視し、良識ある社会を形成していくために何をするべきなのか。全ての人に真剣に考えて頂きたい。

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2019/03/18

宗教や文化の交わりを考える

あの、例のニュージーランドのテロ動画を見てしまった。大量殺戮の凄惨な映像だが、淡々と作業をこなすかのように発砲する様には、ショックというより現実味のなさをより強く覚えてしまう。
映画などでよく見る血が飛び散る感じもなく、折り重なり倒れた人々を黙々と銃撃し、助けを求める女性にも容赦なく銃弾が浴びせられていた。多分、犯人はFPSのゲームでもやっている感覚でしかないのだろう。
ただひたすらに、人間の脆さと虚無感だけを感じていた。ニュージーランドといえば若者の海外留学先として人気であり、ついこの前まで武藤彩未なども留学していたと聞いている。信じられないような惨たらしい事件が、すぐ身近で起きているのだ。

今、世界が歪んでいると感じている。無尽蔵に移民を受け入れることが正しいとする風潮に違和感を覚えるし、外からやってきた者に、そこいら中にモスクを建てられたのでは、当然反発も起きるだろう。
かといって、このような残虐なテロは許されないが、きちんとした住み分けは必要に思う。イスラムはイスラム圏に、キリスト教圏を侵すことなく、それぞれが独自の文化を営めば良い。宗教の自由とはいうが、殊に宗教的な対立は相容れないものがある。きっちりとボーダーラインを敷くべきだ。

これは偏見といわれるかも知れないが、個人的にイスラム教というものには不自然さや違和感、そして得体の知れない恐れを感じている。
宗教というのは、人が心の平穏や幸福感を得るためにあるのであって、厳しい戒律に縛られたり、人々がいがみ合うためにあるのではないはず。一日に何度もお祈りしたり、断食したり、あれこれ食べられないものがあったりと、日常生活に支障をきたすような状況が果たして宗教としてあるべき姿なのだろうか。
それに、今現在、世界的にテロの応酬や戦争などで何千何万という人が死んでいるが、これらの多くにイスラム過激派が関係している。
無論、本来のムスリムの人達は善良であって、凶悪なテロリストでないことは理解しているが、こうした過激派がイスラムに根付き生まれた事実は否定出来ない。例えば、キリスト教や仏教にも過激派がいて、世界中で人を殺しているか? 少なくとも、聞いたことがない。
中東の長きに渡る混沌を見れば、複雑な事情があるのかも知れないが、個人的な感情としてはイスラムには関わり合いたくないと思ってしまうのは正直なところなのだ。

念を押しておくが、別にイスラム教を否定したり、信仰する人々を差別する意図は全くない。ただ、他と交わることなく各々の圏内で生活を営む方が余計ないざこざを避けられるし、それぞれ幸せだろうというだけの話だ。
移民という問題は一筋縄ではいかないが…経済的な事情その他により移民になるということは、要は自分らの国を捨てたということに他ならない。それなのに、他国に自分らの宗教や文化を持ち込むというのは、あまりに身勝手のように思える。
国を捨てて、他の国の一員になろうと思ったら、それまでの習慣や文化を一切捨てて、その国に完全に溶け込もうとするくらいの覚悟が要るのではないか? これは果たして言い過ぎなのだろうか。
 
今回は珍しく堅い話になってしまったが、あのおぞましい殺戮に一抹の虚しさと無力感を覚えたせいかも知れない。
僕は神なぞ信じてもいない無宗教なので、こんなことも平気で言えるのだが、実際に宗教に人生を捧げている人の立場からいえば、もっと奥深い信念や感情があり、僕のような人間が簡単に推し量れるわけはないのだろう。
いずれにせよ日本はこれまで通り、高いハードルの移民政策を続けて欲しいと切に願う。外国人労働者の受け入れを緩和させるようだが、これがエスカレートして、欧米に見られるような全面的な移民受け入れ、それに迎合する風潮になるのには絶対に反対である。
日本は東の端の島国で、独自の文化や風習を古来より伝承してきた。異文化有する外国人を無尽蔵に受け入れれば、この大切なものがいとも簡単に破壊されてしまう。単一民族故に民族紛争がなく、平和国家を樹立することも出来た。
世界随一といわれる治安を維持するためにも、たとえ閉鎖的と揶揄されようが、我が道を往く国であって欲しいと願うばかりだ。

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2018/12/29

2018年アイドル総決算

輝いていた頃の三人

アイドルという夢が遠のいていく。次第に心が離れていく。そして、空虚な心境に満たされていく。あえて言葉にするなら、そんな具合の一年だったろうか。
アイドルに生き、アイドルを想い焦がれ続けてきたはずの人生が、大きな転機を迎えるかのよう。それは希望ある再出発とは程遠い、ただ暗闇に堕ち手探りするだけの救いなき迷い人になることを意味している。

薄れるかつての高揚感、晴れない不審に溜まっていく不満、遂には耐え難いまでの失望感に繋がっていった。こうした負の連鎖によるネガティブな目測、それに何より絶対的な推しが依然として不在となることで、僕のアイドルに対する情熱はみるみる萎んでいくようだった。
あまり良い材料が見つからない今年という忌まわしい時節を、悪しき契機として脳裏に刻み込んでおくべきだろう。

アミューズ発、さくら学院を追いかけ続けてきた結果として、必然的に辿り着いたBABYMETAL。それは無論、SUYUIMOAの三人だからであり、世界を騒然とさせたカワイイメタルという絶妙な融合あってこそでもあった。
ベビメタのみならずアイドルとしても最も推してきた水野由結の不可解な離脱、そして脱退という最悪な流れ。長期に渡り隠し続けることで三人の一番良い時期を見られず、メディア露出しない、メンバーの発言を規制する等々、抑えつけるやり方を変えようともしない運営に対しても、ほとほと嫌気が差してしまった感じだ。
ダークサイドなどと称し、ベビメタの本質部分を蔑ろにする演出は愚の骨頂であり、もはや再生の道は途絶えたものと確信している。
来年以降はベビメタとの完全な決別を期し、あくまであの三人時代に起こした奇跡の数々を記憶に刻みつつ、徐々に気持ちの整理をつけていきたいと思っている。

水野由結の存在感
忌むべきダークサイドの演出
喪失感に満ちた終焉

今現在、唯一の推しているアイドルグループとなってしまったさくら学院。相変わらず研修生的な限られた活動に終始し、映像素材は有料配信に頼り、接触イベントも解禁されぬまま。アイドルと呼ぶには、あまりにも消極的だといわざるを得ない。
推しメンである吉田爽葉香は、モデル仕事を機に補正が外れ落胆が大きいし、性格やキャラクターに惹かれた新谷ゆづみは生徒会長になるも、来年早々に卒業である。来年度の転入生で相当に良い子を入れないと、さくらにさえ心が離れてしまいそうだ。
初代生徒会長である武藤彩未の復帰は、これらさくら学院における熱量の低下を補完するものではないが、元祖ともいえる彼女の頑張りが、現役生に何らかの好影響をもたらすのを期待してしまうのも確かであった。

少女らが回顧する場所
美少女の補正効果
散り散りとなった友情と絆

アミューズ勢以外のメジャーアイドルでは、ハロプロに関し記事にすることもなくなり、すっかり関心が薄れてしまったのは残念だ。若手のスキャンダルに続いて、OGによる凶悪犯罪が明らかにされたことが決め手になったようである。
そうした反動からか、少なからず乃木坂46など人気のある正統派アイドルに気持ちが向いたのも、また事実。大所帯なだけに、見た目やキャラクター、個性の魅力が多彩であり、興味をそそる娘が多かったというのも多分にあるが…。
地下に目を向けても、アングラの一種異様な雰囲気の中からキラリと光る原石を幾つも発見出来た。村田万葉櫻井佑音あたりは今後も目が離せないだろう。
その他、才能ある若手女優・子役としては山田杏奈大里菜桜、モデルの林芽亜里マジマジョ三好佑季といった優れた人材が来年飛躍出来るかどうかも、当然注目していく必要がある。

ハロプロ最大の危機
乃木坂46の総合力
地下アイドルに物思う時
凌駕されるアイドルの時代
少女が与えた命、そして苦しみ
混迷を深める地下界隈

半生を賭けて追い求めてきたものが少女ならではの美しさであり、理想に掲げるアイドル像に適う存在の出現であった。
どうにもままならない情勢に向き合うにつれ、僕はいつしか疲れ、胸に宿していたはずの熱を冷ましてしまった。それは同時に、ただ表面上の少女美のみを求め妄想に耽るだけの、単なる自己完結へと帰することも意味している。

さくら学院が唯一、この胸の内を燻らせる種火となった今、もっと幅広い視野でアイドルの世界を見通す必要があるのだと感じている。
過去の崩れ去ったものに別れを告げ、より新しく若さ漲る次世代の輝きを求めて。そんな風に自らに言い聞かせるようにして、来たるべき時代の足音に耳を澄ませたいと願わずにはいられない。

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2018/02/13

夢に想うオープンフィールド

SKYRIM

オープンワールドのRPGなどは、もうかなり一般的なものになってきているようだ。広大な大地をどこまでも進むことが出来て、あらゆる面で自由な遊び方が可能なように設計されている。主に、海外のゲームに傑作が多くある。
少し前のゲームだが、「スカイリム」というゲームに今でも没頭し続けている。非常に壮大な世界観で、何をするのもプレイヤーの自由。
特筆すべき点は、MODと呼ばれる改造データを使って自在にカスタマイズすることが出来るということ。キャラクターの美化や景観・天候の変更、好みの家や仲間を選んでゲームに付け加えることも可能だ。これのお陰で、未だにこのゲームを楽しめている。

アイドルの世界を例にとると、今現在の状況は残念ながら衰退期に入っている。国民的アイドルグループの影響を受けて敷居が非常に低くなり、素人同然の子がアイドルになることによって、下らない恋愛スキャンダルが頻発する由々しき事態となっている。
それと共に一過性のアイドルブームに流されるようにして、質の低い地下アイドルが乱立し、本来あるはずであった神秘性が大きく損なわれてしまった。要するに、修復不可能なまでに荒廃してしまったわけだ。

正直言ってしまうと、リセットしてしまいたい。全てを白紙に戻し、新たに自分好みに作り変えたい。僕がアイドルをプロデュースするとしたら、古臭いものになるかも知れないが、今よりはマシなものに出来る自信がある。
先ず、「登場するキャラクターを徹底的に美化する
ある一定のビジュアルを擁していない場合は、絶対にアイドルにはさせないということ。地下を中心に、昨今はメジャーアイドルでさえも水準を満たしていない子が多過ぎる。あってはならないことなのだ。
そして、「ディスクリプションを注視し評判を聞き、信頼に足るMODであるかを精査する
つまり、信頼関係を重視する点において妥協はなく、厳格な契約に基いて人選すること。以前に、恋愛禁止の契約条項を破ったことにより、裁判沙汰にまでなった地下アイドルがいたが、別段大袈裟ではないと思う。アイドルとしての禁を犯したのだから、謝罪し賠償するのは当然のことだ。
住む人の居ない大規模な家を多数建てるのではなく、質素でこじんまりした機能的な家を適所に建築する
多人数に及ぶグループの乱立を改め、少数精鋭のプロ集団と呼べるグループに絞り込む。メンバー数は多くても5人程度を上限とし、より高いレベルのパフォーマンスに磨きをかけるべき。ソロアイドルの時代へと回帰する心がけも忘れてはならない。
世界観に馴染む、いわばロアフレンドリーな雰囲気を大切にする
アイドルの王道を歩むにあたり、派手さや奇抜さは基本的に必要はない。時代を先取りするような斬新さも一時の話題性を求めるだけなら別だが、必須要素とはいえない。
元来からある、清純派アイドルとしてのイメージを踏襲するべき。例え使い古されたものであっても、ファンの期待を裏切ることのない存在感・雰囲気が必要であり、それこそが底知れぬ安心感と安らぎを与えてくれるのだ。

いつもスカイリムの大地を踏み締める時、現実にはない世界でありながら、まるでそこに存在しているかの感覚を覚えることがままある。それは確かなリアリティ溢れる感触が肌に触れ、あくまで夢まぼろしであるかの世界観が、そこに在るからに他ならない。
アイドルとは、儚い夢まぼろしであって然るべき。どこまでも精密に作り込まれ人々を魅了するのであれば、掴みようのない幻想であろうと構わない。ただ癒しと憧れをもたらし、夢の中で漂い遊べるオープンフィールドを頑なに求めているのだ。

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2017/12/30

2017年アイドル総決算

松野莉奈

アイドル界隈で盛んに囁かれる終末論、その象徴的な一年となった気がする。振り返るほどに暗い話題ばかりが思い浮かび、明るい話題など皆目見当もつかない。
国民的アイドルグループのメンバーが一大イベントの場で結婚宣言したり、事務所の期待を背負っていた有望若手グループがスキャンダルにまみれたりと、あまりにも非常識な現代のアイドルの振る舞いが、この世界の衰退を加速させているかのようであった。
死に逝くアイドル界を象徴するかのように、本当に命を失ってしまう現役の子まで出てきたりして、完全に混沌としてしまった。この暗黒の年を反復するのは気が引けるが、今一度、歴史の谷間をなぞろうと思う。

年が明けていきなり衝撃が走ったのが、私立恵比寿中学松野莉奈の急逝である。
現役メジャーアイドルの急死、それもかつて少なからず注目していた存在だっただけに、ショックは甚だ大きかった。
死という、夢に生きるアイドルとは全く結び付かない対極にあったはずのもの。それらが突然、渾然一体となった違和感が拭い切れず、現実として受け入れるのが非常に困難であった。
僕の中で最悪の印象として、彼女の存在を思い出させたきっかけとなった出来事。この深い悲しみは、忘れることが出来ないだろう。

生命の灯が消える時
輝いていた少女の情景

ハロプロ本体であるモーニング娘。から主要メンバーが卒業発表し、カントリー・ガールズの解体による移籍・兼任の一連の流れ。極めて悪い方向に進んでいたといえるこの流れは、とどまることを知らずに濁流となって若手の未来をも押し流した。
最も期待値の高かった若手のホープこぶしファクトリーの破綻。素行不良、相次ぐ彼氏の発覚、止まらない流出・暴露。予想だにしないスキャンダルの雨あられで、完全に沈没してしまったのが今でも信じられない。
一方で、全く何事もなく有線の賞を獲ったりしているつばきファクトリーが、こぶしに取って代わるのだろうか。レコ大最優秀新人賞も期待されているし、もうハローの未来は、この子らに託すしかないのかも知れない。

相次ぐ主要メンバー離脱
カントリー・ガールズ解体
こぶしファクトリーの終焉

BABYMETALに聞かれるようになったマンネリ感、そして過剰な搾取によるファン離れの傾向。まだごく一部だろうが、このまま運営の姿勢が変わらず、国内における厳しい露出制限までもが続くようなら徐々に失速していくに違いない。
いつまでも新曲も出さずに新展開もなし、高額チケットやコープスペイントで新規参入を拒む、メンバーは生の声どころかSNSさえ許されない。こんなことでは、ベビメタに明るい未来は訪れないだろう。
YUIMETALのライブ欠席により、電撃解散説まで現実味を帯びてきた今、早急に何らかの手を打たなければ危ないのかも知れない。
一方、さくら学院消極的な活動ぶりも相変わらずか。有料配信でのメディア露出に終始し、ライブ回数も少なく、接触は一切NG。
結構良い人材を揃えているだけに、こうしたいかにもな研修扱い、片手間感が実にもったいない。ベビメタ共々、アミューズには色々と反省して来年に臨んで頂きたいと切に願う。

素顔を解き放つ時機
刻まれた少女期の思い出
BABYMETALの不安な先行き

終焉を迎えつつあるAKB48の時代。いわば、素人をアイドルに仕立て上げる危うさを体現したかの惨状を露呈しているようにも思える。
突如としてアイドルが公の場で結婚発表する、漫画でもないような馬鹿げた話。正直いって、呆れてものも言えないほどであった。
かつて頂点を極めたAKBがこの有り様なのだから、アイドルの世界が終わるのも無理はない。必然的に、興味・関心の中心は単純に可愛い女の子子役やモデル若手女優へと移っていった。
今年ブレイクした浜辺美波を筆頭に、子役の大里菜桜、モデルの林芽亜里花田姫佳など、気になる存在は幾つか見付かった。来年も、下り坂のアイドル界隈よりも、フレッシュな子役やモデルへの注目は増しそうである。

国民的アイドルの終焉
待ち望まれる子役の新時代
浜辺美波の時代
現世にもたらされた造形美

確実に、暗黒の時代に突入したかに見えるアイドル界。本来であれば全ての人々に夢や希望を与え、生き生きとした活力をもたらすはずが、自己中心的な恋愛スキャンダルに奔走し、名実ともに今ある世界に死を蔓延させようとしている。

長年アイドルを追い続けてきた身として、この終焉を認めたくはない。彼女ら一人一人が、今一度考え直して欲しい。アイドルとは、どうあるべきかを。原点に立ち返り、心の奥底に固い信念を刻んで欲しいのだ。
新しい時代を築き再興を望むのなら、アイドルとファンが一体となり、この困難を乗り越える術を熟考するべき。そんな思いに囚われる、年の瀬であった。

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2017/05/14

尊厳ある死 安楽死

先日、献血回数が60回に到達した。だからといって、何か達成感があるわけでもない。最寄りの献血ルームが綺麗で居心地が良く、飲み物がタダで飲めて、ひと休みするには最適だからというだけの話だ。
こうして採取した血液やら血小板やらも、そのほとんどは後期高齢者の治療のために使われると聞いたことがある。加速する少子高齢化に、ひと役買っているというわけだ。考えてみれば、愚かな行為に違いない。
人間などというものは、身体が朽ちてきたら自然に任せ、死を受け入れればいいのだ。寝たきりや、まして認知症になってまで無理に生き長らえる必要などない。然るべき時が来れば、各々の価値観の下に尊厳ある死を選ぶべきなのである。

そういった意味においては、安楽死を肯定する立場にあると思う。いわゆる、末期患者重度の認知症を視野に入れた、オランダ式の積極的安楽死というものだ。
以前に、オランダの認知症老人が将来的な家族の負担を憂慮し、薬物による安楽死を選択したドキュメントを見たことがある。家族はその決断を悲しんだが、最後は自身の判断で薬を飲み、家族に見守られながら苦しむことなく息を引き取った。
実に素晴らしい最期だったと、感銘を受けたのを憶えている。僕には、近親者が同じような認知症を患い、重度に進行した上で亡くしたという経緯がある。認知症とは脳を破壊する病気であり、回復が見込めないのは知っての通り。初期から中期にかけては、妄想や徘徊、酷い場合は暴言や暴力が出ることもあり、介護者を疲弊させる要因になる。
僕の近親者のケースでは、約五年弱で急速に進行し、意思の疎通が全く出来ない重度になって病死に至った。最後は目の焦点も合わず、訳の分からない呻き声を発しながら死んでいった。あれが、人間の死に様とは到底思えない。

自分が何者であるかも分からず、多大な負担をかけた家族の顔も忘れ、死んでいくことの悲惨さ。人間の人格や心を形成するのは、脳そのものである。これが壊れたなら、それは紛れもない死そのものだといえよう。
積極的安楽死という制度を取り入れるべきだと強く思う。人間としての最期、終わり方というものは、個人や家族の手に委ねるべきだし、この権利が例え国家からであっても侵害されてはならない。
無論、厳格な基準に基づいて慎重に行われるべきなのはいうまでもない。認知症に関しては、一定年齢に達した時点で意思表示を義務化しても良いとまで思っている。つまり、将来認知症を患い、判断能力を失った時に安楽死を希望するかどうか。
家族に負担を強いてまで寿命を全うしたい人はそうすればいいが、恐らくそんな人は、ほとんど居ないだろう。間違いなく大多数の人が安楽死を希望するに違いない。誰もが、尊厳ある死を望んでいるはずだ。

途方もない規模の高齢化社会による社会保障費の増大にも、歯止めがかけられる。浮いた財源を、待機児童問題教育費の助成などに充て、より子供を育てやすい環境を整備すれば、少子化に絶大な効果が上げられるだろう。
しかし実際のところ、非現実的な話である。やれ倫理だ何だと、綺麗ごと大好きなこの国の国民性では、議論すらタブー視なのだから。政治家は票を取るのに躍起な無能ばかりだし、来たるべき超高齢化社会の抜本的対策は未だ皆無である。
まあ、元から長く生きるつもりもない僕には、正直どうでもいい問題でもある。ただ、楽に逝ける方法を国家が提供してくれるなら有り難いな、という程度の話だ。
極端な話、自殺志願者に安楽死を適用しても、自殺者が増えるどころか大幅に減ると思う。いつでも楽に死ねると思えば、それが却って生きる活力になったりするもの。少し考えれば、誰でも分かることだ。

成分献血は、一時間ほどかかることがある。そんなことを取り留めなくぼんやりと考えながら、血を抜かれていた。僕は最近、死に取り憑かれているのかも知れない。あまり良い兆候ではないのだろう。
ただひたすらに、美少女に惹かれ続けた半生。僕が本当に追い求めるのは、無垢な少女に癒される妄想にどっぷりと浸かったまま、仮の充足感に満ちた心境で最期を迎えることに相違ない。つまるところ、安楽死である。

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2017/04/22

輝いていた少女の情景

松野莉奈

二月に亡くなった、私立恵比寿中学松野莉奈さん。今でも時折思い返し、物悲しい気持ちに苛まれるが…動画を探す内に、彼女のソロ曲があるのを見つけた。
僕はエビ中の結成初期、りななんが加入して間もない頃に推していた限りなので、全く知らなかった。「できるかな?」というこの曲は、少女の願望や夢を率直に綴った飾り気のない、りななんらしいナンバーである。
拙い歌声だけれど、一生懸命に歌うりななんは眩いほどに輝いて、胸を打たれるものがあった。生命力に満ち溢れたその姿は、無論、死というものとは全く無縁であり、確かな少女の魂ともいうべき輝きが集約されていたのだ。

心を掴まれて引き込まれるようにして見ていたのだが、最後の語りの部分で、思いがけず号泣してしまった。普段、滅多に泣くことはなく、男のくせに人前で涙を見せる輩を軽蔑しているほどだ。しかし、どうしても心を揺さぶられ涙が止まらなかった。
どうして、彼女は叶えられなかったのか。夢や希望に溢れた未来を、なぜ手に出来なかったのか。そこに確かに存在していたはずの生命は、何処へ行ってしまったのか。全てが無情にも掻き消されてしまったのか。
彼女は、もうこの世にいない。幻のように、儚く消え去ってしまったのだ。あんなにも光り輝いていた命の灯が、こうも簡単に吹き消されてしまうなんて…。

生の延長線上に死があるのではなく、生きている以上、常に死が傍に寄り添っている。生と死は、表裏一体なのだと思い知らされる。
死によって存在が消され、人々の記憶にのみ残される。「心の中で生きている」などと、青臭いことは言いたくない。どんなに愛されていたとしても、いつかは色褪せて忘れられる時が来るだろう。
しかし、僅かな痕跡は残るのかも知れない。これだけ輝いた瞬間が、一生の内に有り得た人であるならば、それは確かだろうと思う。
僕は、りななんの死によって、自らの死を強く印象付けられた気がする。有り難いことに、僕の死は他者に何ら影響を及ぼさず、文字通りの消失でしかないという事実を再認識することにより、自らの終末にのみ意識を集中することが出来るはずだ。
僕はもう、そう長くは生きない。この無様でつまらない人生を、ある程度のところでシャットダウンするべきと考えている。人それぞれの人生、思うがままに生き、もう沢山と思えば死を選ぶのが何より幸せなのだ。

いつか上手に、お別れができるかな?
彼女は死に、僕は生きている。不条理にも思えるが、これも運命なのだろうか。しかしながら、この別れは、胸の内を引き裂くように痛々しく苦しい思いを募らせる。
いつか死の床についた時、開かない目蓋の裏に、輝いていた少女の情景を見るだろう。どんなにか美しく、得もいわれぬほどに光の帯を纏った美少女が歌う、その姿。
信じられないような再会を経て、僕の心に浮かび上がるのは、あの透明感溢れる松野莉奈の輪郭なのだ。

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