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2020/09/03

さくら学院の終焉

さくら学院

言い様のない感覚に襲われている。ひと言でいえば喪失感、しかしそんな簡単な言葉では言い表せない、耐え難い苦痛と悲しみに心を切り刻まれるかのよう。僕は今、絶望の淵に立たされている。

さくら学院が、来年八月をもって活動を終了することを発表した。個々に合った育成へのシフト等、それらしいことが説明されていたが…実のところは、コロナ禍による影響やそれに伴う活動停滞、業績悪化が原因なのでは?といった憶測が飛び交っている。
事の真相はともかく、さくら学院は、じきに消えてなくなることが決定した。現行で最も推しているアイドルグループ、それが影も形もなく消え去ることが完全に確定したのである。

僕が初めてさくら学院を知ったのは、2010年のTIFであった。
清楚なブレザーの制服、大きい子も小さい子もいる多様性、瑞々しいまでの若さ。可愛い子も多く、ひと目で魅了されたのを憶えている。
当初の推しメンは、武藤彩未。ハキハキとした優等生のイメージ、学年末テストでボロを出したが、そのギャップも親近感を生み出した。
それから、成長したゆいもあ水野由結菊地最愛)の可愛さが全開となって、みるみる引き込まれていった。とりわけ、水野由結の控えめな感じ、肌の白さ、和風な端正さが理想的過ぎて僕の琴線を激しく揺さぶったのはいうまでもない。
その後、新谷ゆづみの人柄の良さ、優しさに惹かれ、最終的には吉田爽葉香の補正あり(眼鏡あり)の二次元的可愛さから目が離せなくなったりしていた。
これら推しメン以外にも、それぞれの個性がうまく調和し、グループの歴史としてもハズレの時期が一切なかったのは評価するべきだろう。

さくら学院を語る上で、もうひとつ重要なのは、素晴らしい楽曲に恵まれたこと。
学校生活をテーマに掲げたさくらのイメージに沿った楽曲が、特に年老いた父兄のノスタルジーを直撃したのは間違いない。
なぜか懐かしく胸が切なくなるような曲調、真っ直ぐに投げかける歌詞、あくまで品行方正な雰囲気に包容された良曲の数々が、この上ない安心感を与える。未来に向けて成長を続けるさくらならではのコンセプトに忠実に、終始一貫していたのは素晴らしいと思う。
大好きな曲ばかりだが、とりわけ気に入っているのは「マシュマロ色の君と」、「君に届け」、「My Road」などだろうか。さくら学院が消えたとしても、こうした名曲の数々はメンバーの、父兄の心に永遠に刻まれると信じたい。

メジャーアイドルという分野において、成長期限定の小中学生アイドルに分類されるものは他になく、これをもって完全に消失することになる。
この事態の意味するところは、プロの手による楽曲や演出により完成されたグループアイドルの解散という面のみならず、未知数の将来性と、まだあどけなさの残る少女ならではの美しさの魅力、これら稀少な全てを暗闇へと葬ることに他ならない。

ただひたすらに悲しく苦しく、そして痛ましい。過去に消えたはずの少女らの面影は、さくら学院の歴史と共に確かに息づき、生命の脈動を感じさせていた。
今はただ、少女らの生きた証しとして墓標に刻まれるでもなく、呪詛を吐き続ける父兄達の記憶の中で、ぼんやりと浮かび上がる幻でしかなくなったのだ。

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