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2019/01/13

正統派という幻

清原果耶

殊に分け隔てなく区別したわけでもない。本当に特別なものは、心の奥底にある固い殻に守られている。
正統派と呼ばれる美少女。いかにも定説に基いた文言のように扱われるが…その実、大変に稀少であると共に、まるで掴みようのない曖昧な定義によって成り立っている幻の如き存在である。
飾り立てずとも、眩く凛とした輝きを放っている。固い信念と共に生き、強い眼差しで人の心に訴えるものがある。一片の不純なものさえ全く感じさせない、清純な美しさを身に纏っている。
正統派美少女のイメージは、どんなにか長い年月を経ても、僕の心の深い場所で静かに息を潜めていたかのようだ。いつ如何なる時でも、確固たる明瞭な本質であり続け、この精神を支え生かしてきたようにすら思える。
以前に取り上げた例として、若手女優の山田杏奈などがある。彼女の場合は、その潜在的な才能の大きさからも、決してブレのない美少女像を描くことが出来た気がしている。目立つことは少ないが、素質溢れる正統派美少女だといえるに違いない。(参照:美少女と云う奇跡
昨今では、思い当たる存在が見当たらないが、再評価することで正統派の雰囲気を明確に感じさせる少女なら心当たりがある。

名前くらいなら知っていたが、ここ最近やたらとメディア露出が続いていて気になっている子がいる。
アミューズ関連は大抵チェックしているし、アミューズオーディションフェス2014のグランプリを受賞した清原果耶についても、当然知っていたわけなのだが…。
当時の印象は非常に地味であり、かつ美少女としての評価もあまり高くなかった。どちらかというと野暮ったく、どこにでも居そうな風で、なぜこんな子がグランプリ?と首をかしげたものだ。
しかし、そこから成長するにつれてみるみる洗練され、今ではCMやテレビ出演が相次ぎ、大河ドラマ出演を契機に女優としても評価がうなぎ上りといったところ。アミューズのゴリ押しもあるだろうが、彼女自身の力によるものが大きいように思えるほど。
ビジュアルが洗練されたという表面的な部分よりも、佇まいや存在感が増したというか、強い意志に基いて真っ直ぐに投げかけてくるインパクトが身に付いたといった感じ。この点が、極めて特徴的だといえる。
そして同時に、こうした鮮烈な印象正統派美少女と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しているのだ。性格的にも真摯であり、インタビューなどでも、しっかりと自分の考えを表現出来ることで業界関係者の評判も上々のようである。
新進若手女優としてはもちろん、個人的には正統派美少女としても存分に輝きを放って欲しい逸材だといえるだろう。

アミューズは、時にプロデュースやマネージメントの面で不可解なやり方をすることがあるものの、人材発掘に関しては優秀だと認めざるを得ない。
上述の清原果耶山田杏奈、いずれもオーディションにより獲得している。とりわけ、ちゃおガールオーデの受賞者はさくら学院にも係わるというのもあり、欠かさず注目し続けている。
2017年度グランプリの並木彩華は、清原果耶よりも大分ライトな感じではあるが、正統派の片鱗は見えている気がする。成長することで化ける素材であることを願いたい。
ちなみに前年度グランプリの照内心陽は、正統派美少女というには軽すぎる印象か。キッズモデルやアイドルを嗜むのが、お似合いといった風情だろう。
並木彩華

正統派という言葉そのもの自体が、もはや象徴的な意味合いを含んできている気がしてしまう。どうしても現存することのない、それぞれの時代や時の流れに埋もれてしまい、極めて抽象的なイメージだけが独り歩きしているかのようだ。

本来ある精神、魂といっても差し支えない少女の生き方や意志の強かさまでもが、その清純な容姿に内包されているということ。
完成されているかどうかではなく、危うい少女期でありながら、知らぬ間に心に入り込んで確かな存在感を呼び起こす要素を兼ね備えていること。
僕はただ、苦しみにも似た願いを託したのかも知れない。抗いようのない鮮明な少女の陰影にさえ、頑なに支配されることの運命、そしてこの導きに出逢えることを…。決して幻でなく、いつしか心の深い部分に確と刻印されていたかのように。

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