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2018/02/13

夢に想うオープンフィールド

SKYRIM

オープンワールドのRPGなどは、もうかなり一般的なものになってきているようだ。広大な大地をどこまでも進むことが出来て、あらゆる面で自由な遊び方が可能なように設計されている。主に、海外のゲームに傑作が多くある。
少し前のゲームだが、「スカイリム」というゲームに今でも没頭し続けている。非常に壮大な世界観で、何をするのもプレイヤーの自由。
特筆すべき点は、MODと呼ばれる改造データを使って自在にカスタマイズすることが出来るということ。キャラクターの美化や景観・天候の変更、好みの家や仲間を選んでゲームに付け加えることも可能だ。これのお陰で、未だにこのゲームを楽しめている。

アイドルの世界を例にとると、今現在の状況は残念ながら衰退期に入っている。国民的アイドルグループの影響を受けて敷居が非常に低くなり、素人同然の子がアイドルになることによって、下らない恋愛スキャンダルが頻発する由々しき事態となっている。
それと共に一過性のアイドルブームに流されるようにして、質の低い地下アイドルが乱立し、本来あるはずであった神秘性が大きく損なわれてしまった。要するに、修復不可能なまでに荒廃してしまったわけだ。

正直言ってしまうと、リセットしてしまいたい。全てを白紙に戻し、新たに自分好みに作り変えたい。僕がアイドルをプロデュースするとしたら、古臭いものになるかも知れないが、今よりはマシなものに出来る自信がある。
先ず、「登場するキャラクターを徹底的に美化する
ある一定のビジュアルを擁していない場合は、絶対にアイドルにはさせないということ。地下を中心に、昨今はメジャーアイドルでさえも水準を満たしていない子が多過ぎる。あってはならないことなのだ。
そして、「ディスクリプションを注視し評判を聞き、信頼に足るMODであるかを精査する
つまり、信頼関係を重視する点において妥協はなく、厳格な契約に基いて人選すること。以前に、恋愛禁止の契約条項を破ったことにより、裁判沙汰にまでなった地下アイドルがいたが、別段大袈裟ではないと思う。アイドルとしての禁を犯したのだから、謝罪し賠償するのは当然のことだ。
住む人の居ない大規模な家を多数建てるのではなく、質素でこじんまりした機能的な家を適所に建築する
多人数に及ぶグループの乱立を改め、少数精鋭のプロ集団と呼べるグループに絞り込む。メンバー数は多くても5人程度を上限とし、より高いレベルのパフォーマンスに磨きをかけるべき。ソロアイドルの時代へと回帰する心がけも忘れてはならない。
世界観に馴染む、いわばロアフレンドリーな雰囲気を大切にする
アイドルの王道を歩むにあたり、派手さや奇抜さは基本的に必要はない。時代を先取りするような斬新さも一時の話題性を求めるだけなら別だが、必須要素とはいえない。
元来からある、清純派アイドルとしてのイメージを踏襲するべき。例え使い古されたものであっても、ファンの期待を裏切ることのない存在感・雰囲気が必要であり、それこそが底知れぬ安心感と安らぎを与えてくれるのだ。

いつもスカイリムの大地を踏み締める時、現実にはない世界でありながら、まるでそこに存在しているかの感覚を覚えることがままある。それは確かなリアリティ溢れる感触が肌に触れ、あくまで夢まぼろしであるかの世界観が、そこに在るからに他ならない。
アイドルとは、儚い夢まぼろしであって然るべき。どこまでも精密に作り込まれ人々を魅了するのであれば、掴みようのない幻想であろうと構わない。ただ癒しと憧れをもたらし、夢の中で漂い遊べるオープンフィールドを頑なに求めているのだ。

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2018/02/05

好ましいギャップの魅力

さくら学院

ギャップの効果について考えることがある。全く的外れなものが目に触れる機会に遭うことが、多くなったように思えるからだろうか。
最近よく見かけるCMに、誰もが知っている最強女子レスラーの人が出演しているものがある。あのゴツイ人が甘えたような声で「女」を見せつける内容。申し訳ないが、正直言って気持ち悪過ぎる
別にディスるつもりは毛頭ないが、あの人に女を感じることはないし、あえてそれを公共の電波でアピールする必要もないはず。いわばギャップを狙ったのだろうが、イメージそのままに、強い女子という位置付けだけで沢山だろう。
全く別種の一面を垣間見せることがギャップというのに他ならないが、ああいった的外れは違和感を越えて不快感すら催してしまう。
嫌なら見るな」が通用しないテレビCMにおいては、少なくとも不快な内容は極力避けて頂きたいものだ。

さて、本来あるべきギャップの魅力というのは、例えば可愛い女の子であっても、あくまでプラス方向に好感度の傾く種類である必要が生じてくる。清純そうなのに実はギャルっぽいなどは論外で、大人しそうなのに本当は五月蝿いなども、あまり好ましくはない。
巷でよくもてはやされる傾向のある、いわゆる「ロリ巨乳」の類いは個人の好き嫌いもあり微妙だが、僕は一切受け付けない。あれはギャップというより、ただ単に歪な奇形に見えてしまうのだ。バランスが崩壊している
それはともかく、ギャップの魅力というのは…初見のイメージから意外性があるものの、ふと身近に感じられる親近感と、微笑ましい思いに満たされる可愛らしさが共存していなくてはならないということである。

朝の時間帯に珍しいブッキングであるが、これもめぐ様様なのだろうか。遂に、というか当然というべきなのか、おはスタさくら学院初登場というわけである。
おはガール岡田愛のバーターといったら聞こえが悪いが、例えば船木結と共にアンジュルムが出演しても良いわけで、取りも直さず。久しぶりの地上波で新鮮なことこの上なく、推しのそよ吉田爽葉香)が年老いた猫を可愛がるエピソードも聞けて、朝っぱらから爽快感に浸れたわけなのだが。
この原動力となっためぐ(岡田愛)に関しても、ギャップの魅力に溢れているということが出来よう。見かけはまるで料亭の若女将のようだが、愛着のあるお茶目なキャラクターぶりっ子のキャラ設定で、さくらに新風を巻き起こしたといっても過言ではない。
ぶりっ子キャラというのは、とかく男受けが良く、アイドルとしては大きな武器になるわけで、ギャップの方向性としては極めて正しい。
マニアックなまでの歴史好き、城郭好きな点も含めて、ギャップの魅力が満載のアイドルということが出来るだろう。

さくら学院繋がりでBABYMETALにも言及するならば、何といってもSU-METALこと中元すず香ということになるだろう。
世界を舞台に物怖じしない肝の据わったステージング、圧倒的な歌唱力によって今や世界の歌姫の仲間入りしたといっても良いくらいの逸材である。一部外国人やメイトからは「すぅ様」と崇められるほどの彼女だが、実際には超の付く天然であり、屈指のポンコツなのである。
さくら時代からのファンにはお馴染みの話だが、メイトの間では新譜のCDのことを「デロ」と呼ぶのが通例。これは学年末テストにおいて、彼女がCDの正式名称を「デロリアン」と解答したのがきっかけである。
この他、靴を左右履き間違えたまま気付かない海外フェスのステージ裏で迷子になりかける等々、ポンコツエピソードは尽きることがない。しかしながら、これこそすぅの魅力に他ならないのだ。
もし、彼女が全てに完璧で、あれほどの才能に恵まれていたなら、今のベビメタ人気はあっただろうか。僕は否定的である。さくら時代に見せた、それぞれの魅力あるキャラクター。それがあったからこそ、今の隠された状態でも人気を維持出来ているのだ。
音楽性や歌唱力・ダンスといった実力、それと素顔や個性の両輪が揃ってこそ、輝かしい未来が拓かれる。何度でも繰り返し訴えかけていきたい。
吉田爽葉香

ギャップというのは、いうなればその人の真実を知るということ。もっと踏み込んでいうなら、本来有している良さを発見出来るということ。
そしていうまでもないことだが、その本質の部分が他者を魅了するものであって初めて価値を得られ、ほんの僅かであっても、不快感や嫌悪感を抱かせるものであってはならない。

アイドルとは、なにも完成されている必要などない。未完成であっても、個々の内に秘めた個性の彩り、見た目の可愛さだけでない愛すべき内面の真実、それらを昇華させることで本当の評価が出来るのだと常々自分自身に言い聞かせている。

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