« 浜辺美波の時代 | トップページ | 刻まれた少女期の思い出 »

2017/08/16

国民的美少女に欠けている要素

第15回国民的美少女

三年ぶりに国民的美少女コンテストが開催されたと聞いている。多くの女優を輩出した歴史あるミスコンだが、近年では武井咲以来、大々的なブレイクを果たした存在は見い出せていない。
そして、なぜかグランプリが消えてしまう法則も、未だに覆せていない印象がある。前回、前々回の吉本実憂高橋ひかるなどは事務所が強力にプッシュしたものの、どうにも突き抜けた活躍とまでは至っていないのが実情だ。

さて、今回のグランプリは井本彩花という13歳の女の子。全くもって年齢にそぐわない雰囲気の、スラリとした大人っぽい子なのだが…少々オーラがなさ過ぎやしないか。
見れば見るほど平凡な顔立ちで、今や子持ち人妻である上戸彩にまで公開処刑されるとは、一体どういうことなのか?? なんていうか、国美のレベル低下が著しいといわざるを得ない。本気で、いわゆる「国民的美少女」を選ぼうという気概があるのだろうか。
国民的と銘打つからには、全ての人々が認める絶世の美少女でなければならないはず。この程度のビジュアルの子なら、なんなら僕が半日街中を探せば見つけられる自信がある。要は、ただの一般人の水準でしかないというわけだ。
天下のオスカー、審査員の方々よ。もう少し、しっかりして欲しい。まともな審美眼も持ち合わせていないのであれば、こんな大袈裟なミスコンは直ちにやめてしまった方がいい。

反面、グランプリ以外の受賞者が急成長する国美ならば、むしろ注目すべきは特別賞辺りか。
目にとまったのは、審査員特別賞石井薫子。この子は元々子役としてドラマやCM等に出演してきており、今ブログでも何度か取り上げている。(参照:紛れもない少女の真実
久しぶりのその姿は、成長してややほっそりした感じであり、幼少期のお転婆なイメージから一新した少女美に満ちていた。よく洗練された雰囲気があって、とても好印象である。それと共に、どことなく柔らかい、癒しを伴う可愛さを有している点も見逃せない。
とはいっても、彼女が「国民的美少女」のレベルに達しているとは思わない。しかしながら国民的というと、冷たい硝子のような美少女というのでなく、誰の心も和ませる癒しの魅力が必須要素であるようには感じるのだ。

癒しといえば余談ではあるが、以前にも取り上げたモデルの林芽亜里の動画にやられてしまっている。
(参照:美少女子役が担う新時代
同じ「ニコ☆プチ」モデルの高田凜と映っている、少し前の短い動画。ファン向けのコラボアイテムを作る内容らしいが…ニコニコと微笑み合いながら作業する姿が激萌えを催させ、脳味噌が沸騰して蕩けそうになるのだが。
高田凜という子も愛らしい感じの子で、林芽亜里のフニャとした笑顔と相まって相乗効果が凄まじい。まさに、少女の癒しの集大成ともいうべき、可憐な美少女のコラボレーション
オスカーの愚かな審査員共よ。美少女の癒しとは、こういうものを指すのだ。心して、よく目に焼き付けておくが良い。
林芽亜里、高田凜

昨今よく見られる、どこか的外れな人材選出を含むミスコンの有り方。これが、大人の何とかユニバースだの、グラドルのコンテストなら何ら興味がないので、至ってどうでも宜しい。
しかし、よりによって「国民的美少女」と謳っておきながら、その辺に歩いていそうな凡庸な子を祭り上げる愚行を看過するわけにはいかない。

真に問われるべきは、端正な美貌はもとより一点の穢れもない清純さに、少女ならではの可憐な雰囲気。そして何より、誰の心も一瞬で溶けさせ解す、卓越した美少女にしかない癒しの力そのものなのである。

|

« 浜辺美波の時代 | トップページ | 刻まれた少女期の思い出 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92132/65671701

この記事へのトラックバック一覧です: 国民的美少女に欠けている要素:

« 浜辺美波の時代 | トップページ | 刻まれた少女期の思い出 »