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2017/04/22

輝いていた少女の情景

松野莉奈

二月に亡くなった、私立恵比寿中学松野莉奈さん。今でも時折思い返し、物悲しい気持ちに苛まれるが…動画を探す内に、彼女のソロ曲があるのを見つけた。
僕はエビ中の結成初期、りななんが加入して間もない頃に推していた限りなので、全く知らなかった。「できるかな?」というこの曲は、少女の願望や夢を率直に綴った飾り気のない、りななんらしいナンバーである。
拙い歌声だけれど、一生懸命に歌うりななんは眩いほどに輝いて、胸を打たれるものがあった。生命力に満ち溢れたその姿は、無論、死というものとは全く無縁であり、確かな少女の魂ともいうべき輝きが集約されていたのだ。

心を掴まれて引き込まれるようにして見ていたのだが、最後の語りの部分で、思いがけず号泣してしまった。普段、滅多に泣くことはなく、男のくせに人前で涙を見せる輩を軽蔑しているほどだ。しかし、どうしても心を揺さぶられ涙が止まらなかった。
どうして、彼女は叶えられなかったのか。夢や希望に溢れた未来を、なぜ手に出来なかったのか。そこに確かに存在していたはずの生命は、何処へ行ってしまったのか。全てが無情にも掻き消されてしまったのか。
彼女は、もうこの世にいない。幻のように、儚く消え去ってしまったのだ。あんなにも光り輝いていた命の灯が、こうも簡単に吹き消されてしまうなんて…。

生の延長線上に死があるのではなく、生きている以上、常に死が傍に寄り添っている。生と死は、表裏一体なのだと思い知らされる。
死によって存在が消され、人々の記憶にのみ残される。「心の中で生きている」などと、青臭いことは言いたくない。どんなに愛されていたとしても、いつかは色褪せて忘れられる時が来るだろう。
しかし、僅かな痕跡は残るのかも知れない。これだけ輝いた瞬間が、一生の内に有り得た人であるならば、それは確かだろうと思う。
僕は、りななんの死によって、自らの死を強く印象付けられた気がする。有り難いことに、僕の死は他者に何ら影響を及ぼさず、文字通りの消失でしかないという事実を再認識することにより、自らの終末にのみ意識を集中することが出来るはずだ。
僕はもう、そう長くは生きない。この無様でつまらない人生を、ある程度のところでシャットダウンするべきと考えている。人それぞれの人生、思うがままに生き、もう沢山と思えば死を選ぶのが何より幸せなのだ。

いつか上手に、お別れができるかな?
彼女は死に、僕は生きている。不条理にも思えるが、これも運命なのだろうか。しかしながら、この別れは、胸の内を引き裂くように痛々しく苦しい思いを募らせる。
いつか死の床についた時、開かない目蓋の裏に、輝いていた少女の情景を見るだろう。どんなにか美しく、得もいわれぬほどに光の帯を纏った美少女が歌う、その姿。
信じられないような再会を経て、僕の心に浮かび上がるのは、あの透明感溢れる松野莉奈の輪郭なのだ。

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