生命の灯が消える時
非常にショッキングな知らせが舞い込んできた。私立恵比寿中学のメンバーである松野莉奈さんが急死されたとの一報、にわかには信じられない、あまりに悲しすぎる訃報だ。
体調不良によりコンサートを急遽欠席する旨の告知から、たった一日。若い命は、あっという間に失われてしまった。
言葉で言い表せないほどの大きな衝撃が、全身を貫いた。死因は未だ明かされていないが、恐らく病死とのことである。
「りななん」の愛称で親しまれていたこの子は、エビ中初期からの主要メンバーで、高身長を活かしモデル業でも活躍した存在感のあるタイプだったと記憶している。実際に、加入当時の小学生時代には、背が高くて少し天然な雰囲気が僕の興味を引き、爽やかで清楚なルックスも相まって、一時期ではあるものの確かに推していた時期があった。
(参照:一瞬の映像に生きる少女達)
とても健康的なイメージもあり、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。全くもって信じられない思いで一杯だ。
スターダストには、ももクロ妹分のグループ3B juniorのメンバーがテレビ収録中に倒れ一時重体となる、いわゆるヘリウム事件があった。そのメンバーは幸いにも後遺症もなく回復したが…ここにきて妹分一番手であるエビ中で、こんな最悪なことが起きてしまったのだ。
一体全体、どうなっているのか。スタダは呪われているのか!?
想像を越えるようなショックを受けているであろうメンバーが気がかりだが、場合によってはエビ中解散も有り得る危うい状況だと思う。しかしながら志し半ば、無念の内に亡くなった彼女を思えば、他メンには何とか頑張ってもらいたいと願うばかりだ。
さて、かように弱冠18歳にして儚く散ってしまう命もあるという冷徹な事実に直面したわけだが、この何の役にも立たない哀れで孤独な中年が、今なお生きているのは果たしてどういうことなのだろう。
「人間は死ぬべき時には死ぬものだ」。両親を一晩もしくは一日二日で相次いで亡くした僕は、この思いを強くしたはず。そうはいっても、死んでも誰も悲しまず何ら影響のない人間の命と、若くて可愛い将来性溢れる女の子の命では、重さがまるで違うだろう。
それでも、非情なまでに運命というのは頑なだ。僕は常日頃から、生と死について考えを巡らしていることが多い。特に、死に関しては関心が高い傾向がある。自らの死は、常に意識するよう心掛けている。
死とは、深いようでいて実は至極単純なのかも知れない。意識の消失、その限定された状態が深い睡眠であり、目覚めることのない状態が死であるとほぼ推定出来る。つまり、死する本人にとっては、それほど恐れるべくでもないわけだ。
問題は、やはり遺された者の傷心であり、死によって永遠に断絶された状態を絶対に変えられないことである。当たり前だろうが、死人とはもう二度と会えないし、会話することも触れ合うことさえも一切許されない。例え自分が死んだとしても、会えるわけではないのだ。
脳梗塞で一晩で死んだ母親。つい二日前まで元気に会話していた相手が、ただ固くなって横たわっていた。
葬式で冷たくなった母親の頬をそっと触れた感触が、今でも忘れられない。もはやそれは、人間ではなく冷たく重い物体でしかなかった。
人間は皆、そうやって死んでゆくのだ。そこにあるべき命というものは何処かに抜け出して、抜け殻のような入れ物だけを残していく。
魂とでも呼ぶべきそれらは空に吸い込まれ、やがては果てのない宇宙に拡散してしまうかのように。
失われることの虚しさ。僕が自分の命を軽んじるのは、遺される者が居ないから。生命の灯が消える時、最も大きな悲しみが生まれるとすれば、その人を大切に思い、深い愛情を感じる人間が確かに存在している場合に限られる。
かつてのあどけない面影に魅了された人間の一人として、松野莉奈さんに謹んで哀悼の意を表したい。
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