拡大解釈による暴走
小学生の女児に露出の多い水着を着せたDVDを製造・販売したとして、関係者数名が検挙されたとの報道を耳にした。
このDVDはモザイク処理されていたが、パッケージに見覚えがあり、女の子の名前や作品名などすぐに特定することが出来た。購入したわけではないので詳しくは分からないが…かなり生地面積の小さい水着による大胆なポージング、下着を連想させる擬似パンチラなどを含んだ内容らしく、いわゆる「着エロ」と呼ばれるものに限りなく近いといえるようだ。
ただ、問題とするべきは、あくまで水着を着用しただけのイメージビデオを児童ポルノと断定し、逮捕にまで踏み切った点である。
いうまでもなく、児童ポルノ禁止法が、法律として極めて不完全なまま施行されているのは周知の事実だ。児童ポルノをはっきりと定義付けすることなく、衣服の一部を着用しない云々、性的に刺激するもの云々といった風に曖昧な表現に止まっている。
衣服の一部というのが水着を意味するのか何なのか、無論、性的に刺激を受けるのは人それぞれであり、千差万別であるのも当然の話であって、まるで不明確なのだ。
つまり、恣意的に拡大解釈することによって、どんな事案であれ検挙出来てしまう危険な状態にあるといっていい。例えば、水着どころか上着一枚脱いだだけで児童ポルノと認めることも出来るし、服を着ていても胸の大きい子は強調されたとして、取り締まる側の主観ひとつで逮捕拘束出来てしまう。もう無茶苦茶である。
児童の裸以外を取り締まりの対象とするなら、明確な定義付けが不可欠だ。水着の形状を特定した上で指定する、下着を想起させる類いのシチュエーション、ポージングやカメラアングルに至る全てを、こと細かに定義されていなければならない。
もし、それが出来ないのであれば、明らかな児童の裸のみをポルノと認定するより他はない。今回の報道で知った一連の事案は、法的解釈を逸脱したやり方であり、明らかに暴走だといわざるを得ないだろう。
そもそも、水着をポルノと認めること自体おかしい。水着がポルノなら、学校の水泳の授業はポルノを奨励しているようなものだし、小中学生の水泳大会は児童ポルノ大会ということになる。
小学生の水着が問題視される風潮もあるが、なにも今に始まったことではない。あくまで芸能活動の一環としての写真集やイメージビデオならば、何十年も前から当たり前にリリースされ続けている。
それどころか十数年前には、子供の裸がドラマやCMを通じてお茶の間に流されていた。芸術としても扱われ、それこそ小学生だろうと幼女だろうと、様々なヌード写真集が溢れていた時代があったのだ。
当時は、それが健全なものであり、嫌らしいと考える方がおかしいと思われた。それが、欧米の規制強化の波に呑まれるようにして倣い、本来必要ではない規制を強めたわけだが、果たしてその成果は挙がっているのだろうか?
はっきりいって、何の結果も出せていない。規制前と後を比べても、性犯罪等の発生件数はほぼ横ばい、児童虐待の件数に関しては増加傾向にあるとまで聞いている。それでも、規制の厳しい欧米諸国に比べれば、日本は圧倒的に少ない。要するに、全く必要のない規制強化だったということが明白なのである。
子供を守るのであれば、昔からあった地域による見守りの体制を最優先にするべきだろう。
昨今は声かけ事案等で、挨拶したり道を尋ねたりしただけで通報されるご時勢である。これでは、誰も子供に関わりを持とうとは思わないし、何か危険を察知していても、見て見ぬふりをするに違いない。(参照:束縛された世界の行く末)
いたずらに規制を強め、他人を信用せず不審がるだけでは、犯罪の抑制どころか、それを助長し兼ねない悪循環に陥るかも知れない。
僕は決して児童ポルノの規制に反対しているわけではなく、適切な解釈に基づく「着エロ」を始めとした行き過ぎた水着の規制には賛成する立場だ。ただ、今の法規制の状態があまりに酷く、現行の児童ポルノ禁止法には法改正が必要だし、それが出来ないのならば廃止にするべきだと考えている。
少なくとも、極めて健全な内容である水着イメージビデオ等が規制されることがあってはならない。あくまでも少女ならではの爽やかで純粋な魅力、それを演出する重要な一面を担っているのが水着であり、芸能の世界でアピールするには決して欠かせない。
一方的な解釈による抑圧は、適正な規制とは程遠いものであり、むしろ逆効果になり得るということを知って頂きたい。その点を、殊更に強く意識するべきだと思う。
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