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2015/12/28

2015年アイドル総決算

さくら学院と武藤彩未

この一年を通して、失い続けた感覚に見舞われたのは否めない。それは、ゆいもあ(水野由結、菊地最愛)卒業であり、島村嬉唄や鞘師里保の脱退であり、武藤彩未の休業であり、そして自分自身の熱量の低下でもある。
結局、現場(ライブや握手会等)に赴くことは一度もなく、単に傍観者を決め込んだ感じすらある。恒例の総決算記事を綴るにあたり、あれやこれやと思いを巡らす割りには、中身が薄いことにも気付かされた次第だ。
この中途半端な気持ちの方向性を定める上でも、今年を振り返ることは良いきっかけになるやも知れぬ。

世界戦略が破竹の勢いを見せているBABYMETALは、今年も凄かった。
盛況のワールドツアーに、欧米の大型フェス制覇。初の国内ツアーも敢行し、来年はウェンブリーに東京ドームである。全てが順風満帆だが、その反面、隠されるメンバーの素顔や、国内メディアの取り扱いには不満の募る一面も露呈したか。
しかしながら、確かな影響力の証しとして、方向性の似かよったグループが生まれ、思わぬ人気を集めたりもした。いずれにせよ、BABYMETALの話題性と影響力は途方もなく大きく、来年も、その勢いは衰えそうもない。

少女らの魅力の源泉
ワールドツアー絶賛の渦
国内メディアの腐敗臭
新ジャンルの波及効果
世界を巡る美少女の夢
デスラビッツの可能性

さくら学院強制卒業制度により失った、水野由結菊地最愛の存在感。この喪失感は父兄にも、そして個人的にも非常に大きく、一時はアイドルに対する情熱を失いかけるまでに至った。
ただ嬉しいことに、転入生の質の高さにより救われた感が、甚だ大きかった。主力を失って瀕死となったさくら学院が、見事に息を吹き返したのだ。
一方で、ゆいもあ、特に水野由結への思いが募り、郷愁に浸る中、初代生徒会長武藤彩未転落の一途を辿る。肥満と迷走の末、遂には活動休止。悲しい結末となってしまった。
BABYMETALはもちろん、モデル組の活躍や、さくら学院の復興。これに対し武藤彩未の低迷は、明暗が分かれた形となった。

さくら学院 今後への憂慮
死を受容するほどの失望感
清純派アイドルの生命線
水野由結 心の変遷
柔軟な演出と握手会の必要性
消えたソロアイドルの夢

ハロプロにおける新陳代謝。新世代のユニットが次々に生まれる中、衝撃的な脱退、卒業劇による不安定要素も垣間見え、波乱に富んだ一年だったといえるかも。
島村嬉唄鞘師里保という絶対的エースの離脱。メジャーアイドルのエースの座を、いとも簡単に捨て去る理由は、どうしても理解出来なかった。
アイドルの原則論に立ち返る契機ともなったが、嗣永桃子を範とする論説においても、最も重要なのはファンの期待を裏切らないイメージの構築であった。上記の二人は、極めて自己中心的な理由により、この大切な役割を放棄したと解釈せざるを得なく、大きな落胆を感じたものだ。
同時に、ハロプロ内に蔓延る肥満容認傾向も、到底納得出来ない懸念材料。アイドルの肥満は、絶対に許されない。この強い意思表明を、来年度のハロプロには期待したいと思う。

島村嬉唄脱退の衝撃
浜浦彩乃という救世主
肥満というアイドルの大敵
ももち論 永遠の炎
鞘師里保 突然の卒業発表

永遠に少女のままの記憶を刻むための習わし。そこでの、子役やモデルの美少女が果たす役割は大きい。
前田亜季の少女期を振り返る度に思い浮かぶ、「永遠の少女」というキーワード。それは連綿とした年月を経て、やがては「正統派」という定義付けを得たものだと、自分ながらの確信を満たしている。
正統派、そして穢れなき清純派の美少女を思う時の、必須条件は今でも何ら変わらず、そこに多大なる安心感を覚える。どんなに時代が移ろうとも、ひとつだけの真理を追い求める素晴らしさ。この姿勢は、これからも変わることはないだろう。

「永遠」に適う少女を夢見て
ありのままの少女の瞬間
蘇る正統派の記憶
美少女という有り様

新しい年を迎えるにあたって、新鮮な何かが生まれることの期待感は、それほどでもない。少なくとも、今ある価値の高いものが好意的な変貌を遂げて、この索漠とした心持ちに僅かな潤いを与えてくれるのを願うばかりか。

ほんの小さな喜びと、微かに響く心揺らす鼓動。理想に適うほどのものは求めないまでも、もう決して何も失いたくはない。
この陰鬱な孤独の現実と、ささやかな内向きの幸福感。これだけを握り締めて、残り少ない人生を歩んでいきたいと心より思うのだ。

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2015/12/17

消えたソロアイドルの夢

武藤彩未

武藤彩未が23日の赤坂ワンマンライブをもって、活動休止を発表した。事実上、ソロアイドル活動が頓挫した形となる。
大手のアミューズが、さくら学院を通して手塩にかけて育て上げ、多大な期待をもってソロデビューさせたものの、全く結果を出せないまま姿を消すことになってしまった。さくら時代の輝きが色褪せたこともあるが、肥満化統一性に欠けるプロデュースなど、全体としてマイナス要素ばかりが目立ち、とうとう致命傷に至った感がある。
さくら学院の同期卒業生である三吉彩花松井愛莉が、女優やモデルとして活躍し、可憐Girl'sの盟友である中元すず香が、BABYMETALの歌姫として世界を駆け巡る現状。この大きな格差が、武藤彩未本人の焦りと、プレッシャーを加速させた傾向も見受けられる。
いずれにせよ、非常に残念である。彼女が復帰した当初は大いに期待を高め、ソロアイドルの新しい時代を、必ずや築いてくれると信じて疑わなかった。こんな結末になるとは夢にも思わず、失意のどん底に落とされたようだ。
(参照:武藤彩未 始動の時

今思えば、以前にも比較対象に挙げたハロプロ真野恵里菜の方が、遥かに王道と呼ぶに相応しい、ソロアイドルの道すじを辿っていたかも知れない。月並みではあったが、ベタなくらいの正統派アイドルであったろう。(参照:見落としていた感覚
武藤彩未の場合、最初から80年代を意識した楽曲とイメージを柱として、スタートしていた。それ自体は悪くないが、結局のところ、そこからオリジナリティを見い出すことが出来ず、髪型や衣装をいたずらに変えたり、生バンドを付けたりと、極めて表層的な部分での刷新で無理に化学変化を起こそうとした。これが、そもそもの間違いなのである。
ソロは一切の誤魔化しが効かない故に、確固たるコンセプトに基いたイメージの構築が、絶対の条件となる。それは、本人の魅力を引き出す最も適した髪型を固定化することであり、清純派のイメージを逸脱しない衣装のチョイスであり、何よりも自身の音楽性に拘りをもって地道に下積みを続ける粘り強さにある。それら全てが定着するのに数年は要し、決して一筋縄ではいかないのだ。

そして、いうまでもなく肥ってしまったことの悪影響の大きさたるや、致命的といっても過言ではないはず。
グループアイドルとは違い、ソロでは全く誤魔化しが効かず、思い切り人気の低下に直結してしまう。武藤彩未の場合、今年の初め辺りに急激に肥ってしまい、丁度その時期にテレビ出演などメディア露出が相次いだことで、酷いイメージを拡散してしまった感じだ。
今現在でも、当時のキャプチャ画像などがネット上に大量に出回ってしまっていて、この先の彼女の芸能活動においても汚点になってしまうだろう。(参照:アイドルの光と影
更には、ライブ直前には短期間で絞り、その後すぐにリバウンドするというのを何度か繰り返していて、まるで減量前のボクサーのようだとファンに揶揄される始末。これでは、プロ意識云々というより、ファンの信頼を失ってしまうのも仕方ないかと思う。

こうして、ソロアイドルとしての最低限必要な嗜みを怠ったために、当然のような没落を遂げてしまったわけだ。
もし彼女が、自身のイメージに対し、もっと重点を置いた心配りをしていたなら、自己管理を徹底し、ストイックなまでの体型維持が出来ていたなら…本来有していたアイドル性と歌唱力、トーク力を武器にして、ソロアイドルの一時代を築いていたものと確信している。
無惨にも、全ては灰燼に帰してしまったのだ。この喪失感は、どうにも耐え難いものがある。

アイドルを諦めた武藤彩未に残された道は、あまり多くはないと推測する。女優やモデルをやるには背が小さ過ぎて存在感がないし、本格的な歌手、アーティストを目指せるほどの歌唱技術を持っているわけでもない。
可能性としてあるのは、バラエティ番組等のMC、アシスタントといったトークを回せる技術を伸ばし、活かすことくらいか。いわゆる、こじるり小島瑠璃子)のようなポジションを狙うしかないかと。アナウンスなどの勉強をするのも、きっと良いかも知れない。

かつての美少女、過去の栄光、あの頃の輝き。そういった類いの言葉には、あまりにも馴染み過ぎて、もはや郷愁ですらない。ただひたすらに胸が切なく疼き、虚しい思いが広がるだけだ。
またひとり、少女が逝った。それは在りし日の思い出と共に消えた、美少女の肖像。アイドルという甘い夢の中でさえ生きられなかった、僅かな残り香。遠い記憶に封印されるべき、失意そのものだったのだ。

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2015/12/15

ベビメタ人気、最高潮へ

BABYMETAL

BABYMETAL横浜アリーナ公演における、新たな発表。最も大きな反響を呼んだのは、待望のニューアルバム発売の情報だろう。
二年ほどリリースがなかったのだが、その間、ファーストの「BABYMETAL」が記録的なロングセラーを続けていた。世界各国の数多くのランキングにチャートインし、つい先日も、米ビルボードの海外アルバムチャート年間5位にランクインしたところだ。
満を持してのセカンドアルバムは、来年4月1日リリース予定。恐らく既に、かなりの数の未公開曲の収録を終えているに違いない。
リリース直後のウェンブリーでは、初お披露目の曲が目白押しになるのではないか!? 今から大変に楽しみである。

そして更には、やはりというか、来年の世界ツアーの告知もあった。なんとファイナルを、東京ドームで締め括るとのこと。
海外で途轍もない偉業を成し遂げてきたBABYMETAL故に、それほどの驚きはないが…よく考えてみれば、アイドルとして東京ドーム公演が出来るのは、ごく限られたトップグループに過ぎないだろう。五万人規模の動員を見込めるのは、明らかに国内人気が絶頂を極めている現れでもある。まさに、BABYMETAL人気が今、最高潮に達しようとしている。

思えば僕は、BABYMETALが「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を初披露した時の、さくら学院ライブにも参加していた。当時は、「ドキモ」でも相当に激しい印象だったのが、さすがに「イジメ」のメロスピは、アイドルとしてやり過ぎだと呆れたほどであった。
しかし、時代は変わった。アイドルとメタルの融合、それによる新ジャンルの確立、そして、アイドルとアーティストの中間という絶妙な立ち位置。それらは今や世界中で受け入れられ、アイドルファンも、ゴリゴリのメタラーも、お年寄りから幼女まで幅広い世代に至るまで人気が浸透しているわけだ。実に感慨深い、驚愕の成り行きである。

人気高騰を受けて、アンチも活発化しているようだ。本来、メタルというハードコアに斬り込む以上、激しい反論や議論の応酬は承知の上だろうが、メンバーのプライベートを揶揄するような行為は卑劣そのものである。
メンバーのMOAMETAL菊地最愛)の彼氏疑惑が喧伝されているが、全くもって、なんの根拠もないデマであるのは言うまでもない。
夏までは世界を飛び回り、その後は間髪いれず国内ツアー。その間も、新曲のレコーディングや、レッスンが立て込んでいたに違いない。その他に学校の勉強と…彼氏など作って、遊んでいる余裕などあるはずもない。
アンチが活発化するのは人気の証しというが、こういった馬鹿馬鹿しい話を言い触らすのは、やめて頂きたい。さくら時代から彼女らを見ている者にとって、そのひた向きな純粋さを否定されるようで、非常に腹立たしいのだ。

海外から国内への逆輸入というが、もはや国内人気も沸騰寸前の勢いである。むしろ、BABYMETALに気付かないのは、新たな時代に追いついていない、感度の鈍った田舎者のレッテルを貼られても仕方ないのかも。
愚鈍な民衆の目覚めを誘う、BABYMETALの熱き鼓動。この全身を駆け巡る。比類なき時代の幕明け、心して確と見届けたい。

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2015/12/07

柔軟な演出と握手会の必要性

松井愛莉、三吉彩花

先日のさくら学院5周年ライブにおいて、思わぬサプライズがあった模様。初年度卒業生である、みよまつこと三吉彩花松井愛莉がステージに登場、現役のメンバーと共に曲を歌い上げた。
これまで、BABYMETALのツアーの関係上、TIFに出られなくなったゆいもあ水野由結菊地最愛)の代役を、一部の卒業生が務めたことはあったが…こうして演出として、正式に卒業生が出演するのは極めて異例な出来事だ。

モデルや女優として数多くのメディア出演、まさに卒業生の出世頭である二人だからこそのサプライズなのか。それならば、いっそのことBABYMETALのメンバーが電撃出演しても不思議ではないが、まあないのだろう。
完全に隠される方向でプロデュースされているBABYMETALが、さくら学院と絡むのは、未来永劫ないと思われる。いち父兄としては、頭の固いことを抜きにして共存共栄、なんならBABYMETALの世界ツアーの前座として、さくら学院が登場しても良いとまで考えている。

アミューズは、とかく売り出し方を固定化する傾向が見られるが、もっと柔軟に演出をして、様々な方法を積極的に試しても全然良いと思う。今回のようなサプライズは、とても新鮮で面白いと思うし、別に記念ライブでなくても、どんどん試してみたら良いだろう。
卒業生でも暇そうな堀内まり菜佐藤日向、モデル業が先細りの杉本愛莉鈴、そして、ソロ活動に活路を見い出せない初代生徒会長武藤彩未など。今ひとつ燻ぶっている、これら面々の拠り所として、母校であるさくら学院があっても全く問題ないのでは?
父兄としても、たまに卒業生が出演し数曲共演、現役生との絡みなども含めて大いに楽しめるに違いない。繰り返すが、余計な垣根を取り払って、ファンも本人らも純粋に楽しめる、多様な演出があって全然構わないのだ。

これとは別に、さくら学院を語るにあたって、どうしても議論の的になるのが、握手会の是非である。数多くのメジャーアイドルの中で、唯一といっていい握手会をやらない方針。これが依然として、頑ななまでに徹底されている。
握手会によるCD売上げのないさくら学院がブレイクしない代わりに、優良なタレントを輩出する仕組み。つまり、経験蓄積や研修を最大の目的に掲げたさくら学院は、女優やモデルを生み出すための、単なるステップに過ぎないというわけなのだ。
これには、長年アイドルを見続けてきた僕からすると、何とも寂しい話に思えた。アイドルとは、ファンに夢を与えるための特別な存在であるべきだし、そのために、ファンとの距離感を大切にする姿勢は欠かせないとも感じるのは、至極当然のこと。
握手会というのは、今でこそCD売上げの手段のように思われているが…本来は、アイドルにより親近感を感じ、新たな魅力を発見出来る貴重な機会という意味合いが大きかった。これを放棄するということは、ファンを拒絶することに近いといっても良いほどの愚策であり、アイドルの基本姿勢をないがしろにする、否定的な意味すら込められていると断言したい。アイドルに、握手会は欠かせないのだ。

ただし、小中学生の少女らに無理のある強行日程、もしくは長時間の握手などは論外である。あくまで限られた時間と場所で、負担の少ない形で行う分には全く問題はないだろう。
AKBのように、親近感のあるアイドルに特化し過ぎた結果、ヘトヘトになるまで一日中握手したり、CD売上げのためだけにメンバーに負担を強いて、特典商法でファンからも搾取する。こんなものは、愚の骨頂である。
問題なのは、さくら学院には、そういった機会すらないことだ。いくら父兄とはいっても、アイドルとファンという関係性は変わらない。
かつて武道館公演の夢を語ったメンバーもいたが、必要なことをやらないで新規獲得も出来ず、知名度も上がらなければ、そんな夢が叶うことも決してないだろう。さくら学院には、握手会が絶対に必要である。
さくら学院

父兄の中には、握手会をしないのが、一種のステイタスのように語る者もいる。しかし、それは違うのではないか。それこそ、80年代の著名なアイドル達でさえ、新曲のキャンペーンと称して握手会を行ってきた。脈々と受け継がれてきた、由緒ある伝統なのだ。

アイドルを真剣に語ろうとすればするほど、原則論は決して外せないと自身に反芻する。
触れ合いと、ほんの僅かな気持ちの通じ合い。そこに生まれる淡いときめきと、新鮮な心持ちには、夢に描いた存在に一歩近づけたことの達成感と共に、共存し絆を確かめ合った深い連帯感が存在しているのだと、今でも確信している。

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