« 可憐なイメージの大切さ | トップページ | 繊細なる少女美の極致 »

2015/10/05

蘇る正統派の記憶

山田杏奈

僕が、いつかどこかで出逢えた記憶を、知らない内に失くしてしまった感覚。果てしない地平の彼方に消えていって、もう見付からないと思っていたものが、ふと握り締めた手の中にあった驚き、そして微かな感情の澱み
繊細なる美少女の輪郭は、僕にとっての懐かしくも愛おしい再会に他ならない。その記憶だけは、「正統派」という名の下に、確かな感触を胸の内の奥深い部分に刻んでいた。夢まどろむような情景に、ただ心泳がせながらも決して離すまいと。

人からよく問われる。正統派とは何かと。そんなことは、僕には、ずっと以前から答えは出ている。
ひと言でいうなら、正統派とは、真っ直ぐに投げかけてくる鮮明な印象があることだ。それは、何ら濁りを感じさせない、くっきりとした美しい輪郭であり、清らかな魂から発せられる純粋な気持ちの強さでもある。そして、その魅力は、一目見た瞬間に人を虜にする。
これまで、憑かれたように追い求めた長い時を経ても、純正統派と呼べるのは僅かに数えるほどか。

とあるテレビCMに、思いがけず衝撃的な印象を覚えた。他に類を見ない心打つものが、はっきりと感じられたからだ。
城とドラゴン」という、スマホか何かのゲームのCM。ここで、アップで歌う女の子が、非常に強い眼差しと存在感を持っていて圧倒されてしまった。
この娘は、実は僕が以前より高い評価をしていた、ちゃおガール山田杏奈なのだが…最初見た時は、全く気付かなかった。少し髪を崩していたせいもあるが、あまりの瞳の強さに、従来のイメージが重ならなかったのだ。
この子は端正な顔立ちで、普段からモデルをしているのもあり、笑顔の印象が脳裏に刻み込まれていたらしい。こうした表情は、初めて見たかも知れない。
彼女は元から、正統派のイメージが強くあり、殊更に注目していた節がある。この眩しいくらいの存在感と、美少女のオーラ、そして心地良く澄んだ歌声。まさしく、正統派と呼ぶに相応しく、彼女がアイドルの道を選択しなかったことが、痛いほど悔やまれたのである。

また、同じCMの別バージョンに出演している、安留咲という女の子も素晴らしいクオリティを誇っている。
雨に濡れたイメージが瑞々しく、透明感に溢れていて、あどけない愛らしさと飾らない美しさが鮮明に表現されている。まるで心が洗われるような透き通る少女美に、感嘆せずにはいられなかった。
さすがに歌声は幼く拙い感じだが、それもまた、らしくて良いだろうか。普段の振る舞いや、喋り口調は等身大の無邪気な子供そのもので、CMの印象とは全く違うのも面白い。今後も、目が離せない女の子となりそうだ。

ちなみに、このCMのメイキングも公式で上がっており、撮影風景や簡単なインタビューなども見ることが出来る。こうした、可愛い女の子を起用した良質CMは、とにかく嬉しいし、舞台裏まで積極的に公開してくれるとは至れり尽くせりだ。
騒がしくダンスしたり、商品名を連呼するような下らないCMを作るくらいなら、少女の美しさを追求した方が遥かに良いに決まっている。そういう意味でも、そして「正統派」たる美少女を発掘するためにも、見本となるような高品質なCMだと思った。
安留咲

帰れないこと、戻れないことが、どうしてこうも悲しく切ないのか。そこに居たはずの少女は、いつしか大人になり、幻のように儚く消えては、記憶という目に見えない箱に仕舞われる。

正統派の美少女。この響きだけで、もう胸が苦しい。明瞭な輪郭を刻んだ、美しい少女の印象。その心を射抜くような、力強い眼差し。
いつかまた出逢えるのではなく、ずっと見守るようにして共に生きた感覚。もう二度と帰らないはずだった少女の面影は、時の理を越えて、また僕を振り向かせた気がする。

|

« 可憐なイメージの大切さ | トップページ | 繊細なる少女美の極致 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92132/62418282

この記事へのトラックバック一覧です: 蘇る正統派の記憶:

« 可憐なイメージの大切さ | トップページ | 繊細なる少女美の極致 »