時という名の牢獄
振り返れば、もうどうしようもないほどに色褪せ、消えかけた道だけが残されていた。
打ち捨てられた膨大な時間の波に全身を侵食され、やがては、煙のように音もなく蒸発してしまう。誰にも気付かれずに。
ここから先の未来は、もう見つけられない。あらゆる全てが押し流され、今ある「現在」は、時の壁に隔てられていく。
もう、この牢獄からは逃れられないのか。
少女が永遠に少女でなく、成長し姿を変えてゆくことに、半ば諦めにも似た物憂い感覚を幾度も繰り返してきた。
在りし日の思い出。その面影は、いつまでも新鮮に思えるようでいて、もう二度と手の届かない遠い対岸にあった。
今思えば、そうした少女らとの触れ合いだけが、僕のモノクロームな人生に彩りを与えてくれたのに間違いはない。
言い換えるなら、その幸福感だけが、崩れそうな心を辛うじて支えてきたと言えるのかも知れない。
「星守る犬」を読んだ。仕事や家族、心の拠りどころ全てを失った主人公は、まさに僕自身の将来像を見るかのようだ。
ただ、愛犬と最後の旅に出るその先には、新しい出会いもあり、縛られない自由があり、穏やかに流れる時間があった。
人から見れば不幸な最期に見えていても、本人らにしてみれば、これ以上ないほどの幸せな時だったのではないかと思う。
死が、単に終わりとするのなら、それまでの間にどれだけ幸福な時間が過ごせるのだろうか。不幸であるだけの現状を嘆くことの無意味さを、改めて考えさせるものがあった。
これまで生きてきた中での、幸福感を感じ得た瞬間。美少女に心惹かれ、夢を抱き、触れ合い胸ときめかせたその瞬間。
大宮の駅ビルで初めて逢った、お人形のように端正な西村知美。夕陽を照り返す飯田橋のビルに流れた、山中すみかの歌声。新宿のレコード店で、前田亜季に伝えられなかった思い。
次々に脳裏に浮かび上がる思い出は、今なお輝きに満ち溢れた幸せの足跡を、僕の心の内にしかと刻み付けていた。
押し潰されそうな心の重圧に耐えながらも、僕は、僕だけの有しているこの大切なものを手離すべきではないのだろう。
たとえ、時という名の牢獄に、永遠にこの身が封じられようとも。
力なく横たわる僕の目の前には、まばゆいほどに解き放たれた美少女の銀河。殺風景な牢獄の天井に、鮮やかに描き出された輝きは、秘密めいたあの夢の入り口にも似て。
ただ、思い出だけを胸に抱いて、いつしか眠りに落ちるのだろうか。揺蕩う時の狭間から染み出した微かな潤いが、たったひと滴。やるせなく遠く、そして懐かしい過去が眠る意識の奥底に、そっと残されていた。
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