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2011/03/17

境界に漂う虚ろな魂

東北、関東を襲った未曾有の大震災。おびただしい数の死傷者、原発の危機と、下手をすれば一国が崩壊しかねない差し迫った状況に陥っている。
自宅に独りでいる際、震度6強の激震に見舞われた僕は、初めてまざまざと自己の死を意識することになった。
恐怖を覚えながらも、どこか他人事のような冷めた感情が心の奥底に澱んでいたのは、やはり僕自身の現状が既に崩れていたからなのだと思う。
未だ、原発が深刻な状態で予断を許さないが、いっそのこと最悪な事態になっても構わないと、少しだけ考えてしまう自分が怖くなったりもする。
震災で亡くなった方々は大変気の毒に思うが、僕にとって死とは、もはや唯一の救済とさえ思えるのだ。

臆病で小心者の僕からすれば、死そのものよりも、それに至るまでの苦痛が恐ろしく、これまで自殺という手段は選択外にせざるを得なかった。
もし、原発が最悪の爆発をすれば、高濃度の放射線が広範囲に飛散し、東日本は全滅するらしい。そうなれば僕は、心静かに自己の死と向き合いたいと思っている。

死は全ての終わりであり、永遠に続く深い眠りである。

その確固たる信念は、苦境にあっても常に僕を励まし続け、これからも須らく心の拠りどころとなっていくのだろう。
人が人として生きる以上、せめて最後まで人間らしい天寿を全うしたいと願わずにはいられない。死を恐れず受け容れて、自分らしい最期を遂げられたなら、それこそ悔いのない最高の幕切れとなるに違いないのだ。

苦しみに満ちた生と、終わりでしかない死の境に立つ時、この不遇なる運命に何かしらを悟れるのか。やがて訪れるその時を思うほど、恐れを押し退けて、なお熱く燻ぶる期待感が心の内に芽生えるのを、今ぼんやりと感じている。

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コメント

お久しぶりです、こんにちは☆彡

僕も自宅に居たのですが、いつもと違う揺れに・・・もうダメかも・・・って一瞬思いました。

先日、自分の中ではかなり大きな病気をして・・・

その時に・・・自分の中では「もう死んじゃえばいいのに」って思ってたんですが、心と体は間逆で・・・自分の中には死にたい自分と生きたい自分が相対しているんだなぁと思いました。

全く同意見です。。。多くの方が亡くなったり、最愛の人と死別したり・・・してる中でこーいうこと言いにくいんですけど・・・もう全てのことに疲れてしまって・・・

仮にこれから先に希望があれば、頑張れるんですけどね・・・

原発ですか・・・でも、僕達みたいな希望の無い人はそれでもいいけど・・・明日を楽しみにしてる小さい仔を思うと・・・原発で作業してる人達には頑張ってもらいたい自分もいます・・・

こーいう時だからこそ、いろんな仔のいろんな面が見えてきますね。。。

今まで嫌いだった仔が好きに変わったり、その逆もあったり・・・

いずれにせよ、自然に終わるその日までは自分(出来ればその周りも)最大限の幸せを求めて歩いていきましょう。。。

投稿: 館の主 | 2011/03/19 15:39

死を実感することは、ことさらに生きるということを考えさせるものですね。
日本ではいくら苦しいといっても、餓死することは少ない。
それでも自殺者は増え続ける。どうしようもないほど病んでいると思います。
別に多くを望んでいないのに、人並みの生活が出来ない社会。格差の壁。崩れる社会保障。
僕も、なんだかとても疲れてしまいました。もうどうにでもなれ!と、ヤケになることしきりです。

ただ、死を身近に感じていることで安心感を得ているのも事実なんです。いつでも死ねると思っていれば、生きるのが少し楽になる気がします。
これも生きる力と言えるでしょうか!? 死が終わりである以上、自分なりにでもきちんと生きてから、悔いなく死にたいものですねぇ…。

投稿: santa | 2011/03/20 23:07

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