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2009/08/28

仮想世界が呼び起こす光

高橋香波、一木有海

いつもの公園で、不意に女の子に声を掛けられた。後ろから走り寄ってきた、二人組の小学生くらいの女の子達。
遊んでテンションが高まったのか、見ず知らずの僕に「おじさん、おじさん」と無邪気に声を掛け、走り去っていく。
子供と接する機会のなかった僕にとって、そう呼ばれたのは初めてかも知れない。本来なら、あのくらいの娘がいても何の違和感もないだろう。もう諦めたはずの遠い幻想が、僅かに胸を締めつける。

本当に求めているのは何なのか? 自問自答を繰り返しても、返ってくるのは、どっちつかずの曖昧な答えでしかない。
ひとつ言えるのは、僕にとってアイドルとは「現実にはない仮想の存在」だということ。
考え得るあらゆる姿を投影しては、現実とはかけ離れた世界で、つかの間の幸福感に浸るのに欠かせないものとなった。

過去に見た面影を、無理にでも当てはめて郷愁を誘うのが最も一般的な方法。かつて、天才てれびくんMAXにおいて、多様なあどけなさを見せた一木有海は、実に忘れ難い永遠の輝きを有していた。
今夏も「ほん怖」メンバーとして、唯一といっていいテレビ出演を果たしている。一見して、お姉さん風な印象を増した予想通りの成長が窺えたが、僕が危惧したのは以前にも増して存在感が希薄に感じられた点
毒舌の有吉などと絡むのかと思いきや、果敢に挑む高橋香波に比べ、大人しく静かな有海。成長したから…というよりは、顔色も悪く元気のない印象ばかりが目立ってしまう。
有海は、どうしてしまったのだろう。あの懐かしく思い出される、生き生きとした純朴さの片鱗を垣間見たかったのに…。

様々なタイプの美少女を輩出した天てれだが、とりわけ地味でありながらも、なぜか気になる存在というのも今にして思えば貴重だったのかも知れない。
その後の人生を自ら軌道修正し、目的意識をもった行動には感服せざるを得ない篠原愛実。最近、妙に興味を抱かせるブログの魅力には、他に類を見ないバラエティ豊かな交友関係が大きく影響していると思われる。
今、絶好調の若手女優川島海荷とのプライベートな写真に、かなりの意外性を覚えたのが発端。他にも、まゆゆ(渡辺麻友)などのAKB勢、アイドリング!!!の横山ルリカ、ホリプロGP足立梨花、ミスマガ荒井萌と、数え上げたらキリがない。
素朴な外見に見合わない美脚の持ち主等、意外性という点で突出している。
想像を超えた思いがけない魅力の発見、その驚き
このテーマは、僕の単調な仮想世界との接触に、センセーショナルな課題を提示した。

天てれから典型的なアイドル路線に舵を切り、意表をついたのが伊倉愛美か。つぐと同様に、地味な印象が先行した結果、ほとんど注目することはなかったが、正統派アイドルを選択するとは夢にも思わなんだ。
スターダストのももいろクローバーを経て、新ユニットクリィミーパフェのリーダーに就任。カラフルな衣装に身を包み、昭和テイストを巧みに織り交ぜたアイドルアピールは、完全に30代以降の大きなお友達をターゲットにしたものだ。
ローカルな小規模会場でのライブイベントに精力的に参加し、意欲的な姿勢が見てとれる。美少女度は及第点以下だが、洗練された楽曲で十分に期待が持てる。彩りある個性を発揮すれば、仮想世界のアイドル味を味わわせてくれるだろう。
クリィミーパフェ

別世界で漂う感覚は、あらゆる事象から解放されると同時に、現実における自我を自ら束縛するのを意味している。
それでもなお、仮想現実に堕ちていく快楽は、きっと僕を放しはしない。
ありきたりの現実も、いつの日か閉ざされて終末が訪れる。
ただひたすら心に留め置きたいのは、記憶に投影された胸ときめく横顔。深い眠りに落ちる僕を呼び覚ますように、柔らかな光を発している。

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2009/08/18

青空に捧げた美少女の夢

伊藤綺夏

時折、追い詰められたかの切迫した心情に襲われることがある。この世界はとても生きづらく、機を逃せば、人生を立て直すきっかけはほとんど得られない。僕はここにきて、完全に行き詰まってしまった。
そんな時、僕は無理にでも外出するようにしている。公園のベンチで読書したり、日がな空を見上げたりしている。
空は不思議なものだ。どこまでいっても果てがなく、遠くに浮かぶ雲を眺めていると吸い込まれそうになってくる。
ひたすら青空を見上げていると、頭の中の余計なものは消え去ってしまう。そして、まっさらな気持ちのまま、非現実へと逃避するのが新しい習慣となった。

もう憶えていないくらい遠い昔に失ったもの。例えばそれが夢と呼ばれるものだったとしたら、今はやはり、無垢な幼い少女にその片鱗を探しているのだろう。
計り知れない可能性に満ち、一瞬の儚い美しさを湛えた美少女は、存在そのものが夢。追い続けるとしたら、もうそれしかないのかも知れない。

虚脱した魂には、端的に視覚で訴えてくるものに弱い。テレビCMの別バージョンというのは簡単だが、そこには現実感のない夢と、生身の少女の成長という相反する要素が混在していた。
セイバン 天使のはね」CMの伊藤綺夏。この少女然とした美脚に釘付けになった僕だが、更に急速な成長を遂げた、新バージョンCMがオンエアされている。(参照:探し求める美少女の光
糞でも喰らわせたくなるアグネス予備軍の弾圧を憂慮したのか?かなり大人しめな印象で、以前の躍動感がさほど感じられないのは気のせいか。綺夏ちゃんの髪型も含め、雰囲気が一変しており、早過ぎる成長に複雑な心境が入り混じった。
太田総理の夏休み子供SPにも出演していた模様。落ち着いて意見を述べるその姿に、ちびまる子ちゃんの面影はなく、弛まなく少女期を駆け抜けているようだ。
これもまた、一瞬で終わる儚い夢なのだろう。

いわば、幼い少女ならではの未熟さに、豊かな可能性を認識出来ることの喜びがある。
以前に、キャナァーリ倶楽部を脱退した橋口恵莉奈に、おがまな(小川真奈)に続くソロ展開の情報がないかと調べていたところ、思いがけない伏兵に出くわした。
NICE GIRL μ(ミュー)という、NICE GIRLプロジェクトの研修生達。ハロプロでいえばエッグみたいなものだが、その幼さと意外なまでの美幼女っぷりに驚かされた。
主に、他ユニットのバックダンサーなど務めているが、彼女らだけでステージに立ったこともあるらしい。動画で見たが、これがまた何とも稚拙で頼りなげなステージング。音程外しまくりボーカルに、チャームっ子のお遊戯に毛が生えた程度のダンスアピール。
そう、これこそが萌えである。途方もない成長と夢を感じさせるに余りある、希望の象徴なのだ。

虎視眈々と、関西進出の糸口を探るチャームキッズ。これが本格始動したなら、確実に競合を避けられないであろう、大阪モデル事務所エンジェルプロダクション
エースである、るいかのギャル化、の劣化により完全に興味を失っていたが、やはり舐めてはかかれない大阪の勝負魂
低レベル弾を無鉄砲に放つモンハンのガンナー曰く、超速射は狩人の真骨頂。数撃ちゃ当たるのである。
このほど僕を射抜いたのは、既にDVDもリリースしている小学六年生れおちゃん。とても六年生とは思えない幼い容貌、華奢な体躯、透き通る白い肌。非常にルックスレベルの高い女の子だ。
かつての若かりし小橋めぐみを彷彿とさせる、猫顔の完成度といったら…。現在のところ、ほぼ知名度ゼロというのが惜しいくらいの逸材。ケチなCD写真集程度で終わらせて欲しくない、夢の美少女である。
れお

あの空に捧げた想いは、透き通るほどに純粋な少女の風のよう。錆びついた胸の内を吹き抜けるように、心地良い清涼感で、いつも心を洗い流してくれた。
掴めなかった幸せも、叶わなかった夢も、何もかもが過ぎ去った幻。突き抜ける果てしない青空が、新たな夢を少女の微笑みに変えて届けてくれた気がするんだ。

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2009/08/08

抱え侵された死の感触

ここしばらくの間、読書に明け暮れていた。その小さな世界に入り込んでいると、外界からの余計な情報はシャットアウトされて、自分の奥深い部分に存在するものと向き合うことが出来る。
ノルウェイの森」を読んだ。ここに描かれていた孤独感と死の観念は、僕の死生観に多大なる影響をもたらした。

これを恋愛小説と呼ぶのは、あまりに本質からかけ離れている。死の影に蝕まれることで物語は綴られ、人間模様は徐々に閉塞してゆく。そして、孤独の内に人の死を問いかけ、生死の境界線に己の存在意義を見い出そうとする。
主人公を取り巻く人々は、どこか歪んだ感性を抱いていて、懸命に生きようとしながらも自殺という手段を選んでしまう。
社会における底辺層に身を置く僕にとって、自殺という方法は、決して非現実的な選択肢だと言い切ることは出来ない。
年間3万人、実数はその数倍といわれる自殺大国日本にあって、人生の果てにある死の気配を無視するのは叶わなかった。

宗教観の違いあれど、大多数の人々は「人間は死ねば無になる」と信じていることと思う。死の世界は全てを掻き消し、悩みや苦しみから解放してくれると考えているはず。生と死は分かつべき対極にあると。
ここに投げかけられたテーマは、「死は生の一部として存在している」ということ。つまり、生きていて初めて、死の感触をはっきりと認識することが出来る。それは、身近な人が亡くなることで、より明確に遺された人間を捉え始める。

以前に、アイドルの死というものを題材にしたことがある。瞬く間に成長を遂げてしまう少女期において、その訪れはあまりにも早く感じられる。ただ、その印象はいつまでも色鮮やかに蘇り、今なお、熱く疼くように胸を締めつけてくる。
初めて観に行った映画のヒロインが西村知美であり、そのパンフレットを宝物にしたこと。お世辞にも上手とはいえない山中すみかの歌声が、夕暮れの飯田橋に流れた光景。木々の間を駆ける天使のような前田亜季が、甘い夢へと誘った「ごめんね」のPV。そして、もはや死にかけているかの沈黙が続く松嶋友貴奈が、バースデイプレゼントに贈ったマフラーを巻いてくれた写真、あの理知的な眼差し。
それらの記憶は色褪せるどころか、死して生ある思いの深みを増すように、僕の心を捉えて離そうとはしない。
永遠の別れであるはずの死が、なぜこうも手に取るように身近な心の深部に潜んでいたのか。この物語に触れて、僕はほんの少しだけ、死の意味するものを知った気がする。

固く覆われた表皮を爪の先で引き剥がしていくと、ささくれ立った心の裏側に、掴みようのない影がぽっかりと口を開けている。
その空間を埋めようとあらゆる方法を試しては、空虚な感慨の波に押し流されていた自分がそこにいた。
僕は今こうして生きていながら、抗い切れない膨大な死をも抱え続けている。内包した陰りは深く密やかに寄り添うようにして、この脆弱なる魂を侵食し、且つ、ときめかせていたのだ。

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