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2008/10/25

ももち論最終章 大いなる眠れる魂

嗣永桃子 盲目であることは、永遠に続く静かなる時であるはずだった。今、こうして瞼を閉じれば、ただひたすら恐怖という漆黒の暗闇に覆い尽くされてゆく。
なぜ、僕はこれほどまでに畏怖の念に捉われているのか。怪しげに蠢く物体が、心の深淵に湧き出したあの時から、おぞましいまでの恐怖感に支配されてきたのだ。
そこに姿を現したのは、絶対的な存在であった。あらゆるものを贄とし、自らの血肉と化し果てしなく増大してゆく、血に飢えた化け物が降り立った。
もう、出口なんて見えはしない。僕の心身は絡め取られて、幽けし魂までもが、噴き出す鮮血と共に取り込まれてしまった。
何てことだろう。僕はもう、自らを憐れむことすら出来ない。
ももちよ、あなたは今、僕の目の前にいる。

狂おしいほどの歓喜、沸き立つ鼓動、ざわめく不安、そして押し寄せる悲しみ。この慟哭までも、あなたの供物となったのだ。
ささやかな人生を望み、安らかな死を願っても、あなたは呪われた運命を手繰るように、地の果てへと引き摺り込んでいった。
運命を捧げた日々が、苛烈なる恍惚の時だった。
大いなる眠れる魂アイドルモンスター嗣永桃子が、痛ましい惨劇の時に今、終止符を打つ。

アイドルという概念を今一度、再認識させた多大なる功績。
あくまで正統派たる可愛さをアピールする為、利用出来るものは全て駆使し、計算し尽くした自己演出を展開したももち
それは時に、異端過ぎるが故、孤立を招き、人間関係の衝突をも水面下で感じさせた。むしろ、そうした環境を自ら進んで作り上げた気配すらある、飽くなき向上心が際立つ。
僕の肩までどっぷりと浸からせた、魅惑的なももちの世界観
終息の時を迎えようとしている今だからこそ、もう一度、あの
枯渇し荒ぶるアイドル魂の軌跡を振り返ってみたい。

全ての始まり、Berryz工房結成にあたり、最も端的な感情表現である「涙」から、ももちの世界が産声を上げた。
デビュー当時、体力不足によりレッスン中に涙する場面があった。この挫折で流した涙が、ももちの最後の純粋さだったと認める。この時、ももちを慰めた舞波は劣等生的存在となり、重要なキーマンとなっていった。
やがて、みやさきとの確執、千奈美への敵対心を経て、疎外された舞波を傀儡とするももち。卒業コンサートで見せ場を奪う等、最後まで巧みに利用した感があるが…総じて情け深く、牙を剥くことはなかったと今にして思える。なぜか?
欲望のまま走り出した怪物は、舞波という哀れな小動物を喰い殺すのを、ほんの一瞬躊躇ったのだ。アイドルとして咲き乱れるために、化け物と化したももちの、最後の人間らしさである。

メンバー内で浮いた存在となったももちだが、飽くなきアイドル魂は燃え盛ることを決してやめはしない。
孤独は、人をけだものに変える。どす黒い憎悪を胸に抱えたまま、マイナスのエネルギーをアイドルアピールに注ぎ込んだ、ももちの巧みな錬金術に驚愕する。
DVDマガジンなどでお馴染みのゲームで、常に失敗を心がける不可思議な挙動。「ベリキュー!」では、ゲームに勝てないと見ると、いち早く勝負を投げ「負けて可哀想な女の子」アピールに卒なくシフトする。
他のメンバーは、「またか」と少々呆れ気味だが、ファンの視点からすれば瞬く間に魅了され、ことごとく思惑通りになっているのだ。

アイドルにとって、ファンの存在が最重要。ファンサービスこそが、自身の存在を訴える最大の機会だと、無論ももちは知り得ている。
コンサートMCでの、ももちの佇まいは異様である。そこには絶妙なタメがあり、声援を送るファンに向けての感情の高まりを、全身で表現するかの気迫に満ち満ちている。
ファンと握手する時、ももちは急角度の前傾姿勢となり、必ず
上目遣いで引き込むように握手する。その握力は非常に強力であり、両手で握り締めた手を高速流しの中にあっても、限界まで離そうとはしない。
ももちの企図するものは、アイドルが夢を与えることで人々を魅了し、熱烈に応援するファンが生まれ、それに惜しみない感謝で答えるというコミュニケーションの確立にある。
変わることなき王道を踏襲することで、認識の甘い軽はずみな現代のアイドルに、原点回帰を訴えたのだ。
ももちの涙

あの惨劇の日々がまるで幻だったかのような、荒涼とした空間。眼前に、ただ果てしなく広がっている。
呼び起こされた悪夢は過ぎ去ったのではなく、心の奥底に刻まれた刻印。引き裂かれた傷跡が身悶えるがごとく、やるせなく疼く。
ももちよ、約束の時は来たれり。深く永い眠りについた怪物は、記憶の底で静かに横たわり、今も呪縛を解くことはない。
心身をざくろのように切り刻まれるかの、壮絶な痛みを思い出す。あの痛みだけが、唯一、僕の心を掻き乱した。
大いなる眠れる魂。捕食された我が生命は、永遠にあなたと共にありて。


参照リンク
ももち論 神の小指
ももち論 轟く咆哮
ももち論 嗣永プロの野望
ももち論 血の刻印
ももち論 遠ざかる旭日

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2008/10/01

意識下に存在した鮮烈な眼差し

松元環季 秋といえばそう、番組改編の時期。例によってスペシャル番組目白押しだが、正直あまり興味は湧いてこない。
なぜってそれは、どこにも可愛い女の子が見当たらないから。
お笑い芸人が競うように躍起になってるのは鬱陶しいだけだし、無知で常識がないのを売りにするおバカタレントも、ただ愚かしいだけだ。
はっきり言ってしまうと、もう無常の世の中には、少女の無垢な魂と可憐な美しさしか見るべきものはないように思えてくる。
テレビというメディアは、未知なる美少女を発信する箱であって欲しい」 僕が望むのは、もうそれだけのことでしかない。

ジュニアアイドルに熱い視線を送り続ける僕だが、次々と現れる子役の存在も決して無視することが出来ない。
何となくドラマを眺めていると、突然目に飛び込んでくる子役の美少女達。それ以降、ドラマの内容は意識の外へ押しやられ、ただ少女を見るためだけにテレビに貼り付くこととなる。
ここ最近、僕を虜にした子役美少女は、そう多くない。ある意味、肥え過ぎた?目で厳選したものを、いくつか挙げてみよう。

話題に取り上げるには珍しいNHKドラマ「キャットストリート」において、主人公演じる谷村美月の幼少期に注目していた。
当然のごとく、有名子役である美山加恋に惹かれたと思いきや、むしろ共演者の鈴木理子に思いがけず魅了されることと
なる。
素朴なルックスでありながら、落ち着いた自然体の演技が光る。ドラマや映画出演経験が豊富で、生粋の女優資質が窺える。
今回、少々意地悪な役柄が残念ではあるが、実際には大変温かみあるキャラクターであり、大いに好感が持てる。
自身のブログでは、実に丁寧にコメントレスしており、細やかなファンへの気遣いが見てとれる。
少女らしい健やかさ、一途さ、優しさを感じさせてくれる女の子。期待をもって見守りたい。

昼のドラマとしては、かつてないほどに僕を萌えさせた、あの「キッパリ!」が帰ってきた! (参照:移り往く少女の色合い
うむむ‥美少女に一度は呼ばれてみたい、「おじさま」の甘美な響き。洋華ちゃん(田中明)に、またもや脳髄まで蕩けてしまうのか?と思いきや、キャスティングされていないとか!?
そんなぁ。。
落胆しながらも、成長した岡田千咲ちゃんがまた可愛らしく、
なんやかんや言いながらもチェックしてしまう。マドンナ役の重本愛瑠ちゃんも、なかなか可憐で宜しいかと。
しかし、元チャイドルの吉野紗香が不倫とは、痛切に時の流れを感じてしまう。「おじさま」に萌え盛る、我が身を顧みるべきか、否か。やはりそれでも、洋華ちゃんカムバック!!

幼い頃よりの演技経験卓越した才能という点で極めて類似しているのが、小池彩夢松元環季の二人。
あの空恐ろしい「牡丹と薔薇」で手厳しい洗礼を受け、叩き上げた演技力で映画出演、ピュアピュアグラビアレギュラー掲載と、急成長を余儀なくされた小池彩夢
かたや、3歳からの蓄積された経験の上積み、アニメ声優と子役の二足の草鞋、巷で話題の「20世紀少年」に出演など、大人の女優顔負けの活躍が光る松元環季
共に、同じ系統のルックスと雰囲気を併せ持ち、あどけなさと小動物的癒しが際立つ、現代において数少ない美少女だといえる。
特に注視すべきは、女優業にどっぷり浸かる松元環季に対し、小池彩夢はアイドルへの夢も持ち合わせているということ。
正直、清純派アイドルの彩夢ちゃん、めっさ拝んでみたいかも。
小池彩夢

テレビの画面を通して働きかける力が、僕の意識に滑り込んでくるのを感じる。密やかで瑞々しい質感をもって脳裏に刻まれた少女の面影は、突出した輝きを纏いそこに佇んでいた。
あるかなきかの、たどたどしい記憶と鮮明な映像が結び付くのならば、心の中に棲んでいたあの少女像が浮かび上がってくる。
鮮やかに胸を貫くのは、迷いのない純真な眼差し。揺るぎない意志を秘めた強かさに、なす術なく引き寄せられるんだ。

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