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2007/10/29

まいみぃは赦してくれる

矢島舞美 初恋の淡い想い出は、人の生きる道に彩りを与え、時に心を縛り付けるもの。
きっと、不器用で要領の悪い生き方しか出来はしない。
幼い少女に心の潤いを見い出す背徳感が、いつしかこの身を支配してゆく。頑ななまでに凝り固まった心の裏側には、過去の想い出に縋り、救いを求める切なる願いがひしめいている。

あの遠いセピア色の記憶が蘇る。臆病な僕を引っ張り、優しく包み込んだ初恋の人。もう手の届かない面影は、不明瞭な記憶に埋もれてなお、おぼろげな光を放ち胸を切なくさせる。
今、もう一度逢えたなら、あの時感じた温もりに包まれて、初々しいときめきを思い出せるだろうか。

忘れられない面影は、現代に通ずる永遠のアイドル像と交錯する。
ハロプロ次世代最終兵器℃-uteのリーダー、矢島舞美(まいみぃ)。その柔らかな陽射しを思わせる微笑みは、俯き加減で歩く僕を励ます、かつての初恋の人そのものだったんだ。
(参照:雨に咲いた花

優しさの包容力と、しなやかな肉体美の調和。完成度の高い美少女でもあり、強靭な身体能力有するアスリートでもあり、
ファンへの配慮こと欠かないアイドルでもあるまいみぃ
非常にサバサバした性格で、悩みなどなさそうな天真爛漫さが特徴的。自他共に認める天然キャラが、実年齢より幼い印象を与え、親しみやすい雰囲気を育む。年齢差のあるアイドルユニットとしては、格段の仲良しぶりを見せる℃-uteは、まさにリーダーであるまいみぃの影響が大きかったに違いない。
そのキャラクター社交性体育会気質など、全てにおいて僕と対極を成す存在であるまいみぃに、なぜこうも惹かれるのか? それは、欠落した人間性を捜し求める本能的欲求。初恋の人として刻まれた少女の印象は、常に僕を刺激し続け、知らぬ間に意識下に確かな領域を築いてしまった。
在りし日の少女と生きた軌跡。僕は、モノクロームな記憶と重ね合わせるように、まいみぃを分析する。

プロ意識の肉体表現
例えるなら、よく調教されたサラブレッドのごとく、軽やかに地を駆ける。ハロプロスポーツフェスティバルにおいて、短距離走の主役となった韋駄天まいみぃ
長身細身の流麗さから想像しにくい、卓越した運動能力が光る。圧倒的な脚力で他を寄せ付けない、秀でたアドバンテージを有している。フットサルでのプレッシャーなどからも、才能の片鱗が見てとれる。
自らの肉体をもって、鋭意プロ意識を体現する一方、ファンと接する際の姿勢もまた、見逃せない。真心を込めたもてなしの気持ちを感じ得る、握手の妙。曇りのない笑顔と、正中線を捉える意識の集中が素晴らしい。全身から発する意識の高さは、
まいみぃ独自の表現方法といえるかも知れない。
矢島舞美、嗣永桃子

恐れを知らぬ奔放さ
芸能界への第一歩を記した、映画出演「仔犬ダンの物語」。
この中で、主演の嗣永桃子と反目する役柄を演じたまいみぃ。
劇中では、次第に和解の方向に向かっていくが、これが現実となることはなかった。
幻のユニットZYX結成にあたり、桃子との亀裂は決定的になった。奔放が故に気遣いが足りないまいみぃは、幼さも手伝って、「怪物」のプライドをズタズタに。レッスン中、愛情溢れる
桃子の煮豆弁当を、自分の豪勢な弁当と比べて揶揄するまいみぃ。この後、地獄の蓋を開いたかの惨状を呈したのは、言うまでもない。
千奈美と裏で手を結び、桃子包囲網を敷いたと噂されるが、根拠はない。和解の兆し説もあるが、この二人が仲良く語らうのを見た者は、未だかつて存在しないのだ。
セクシャルなフェロモン
天然キャラで、恋愛と縁のなさそうな風情のまいみぃ。その反面、本人の無意識の内に、濃厚なフェロモンを発し、ファンのみならずメンバーまでも怪しげな領域に引き込むことが、ままあるようだ。
柿の種の食べ方をご指導する名目で、ナッキー(中島早貴)の口に柿の種を大量に流し込むまいみぃ。無邪気に笑いながら、ナッキーを窒息せしめようと企てるサディスティックな振る舞いが、至極淫靡である。
新陳代謝が良好なまいみぃは、ライブで汗ダルマになることしばしば。パフォーマンスに全力を注ぐ姿は、時に艶めかしくも美しく映る。スポーツに興じるかの、爽やかな汗の匂いが大好きな有原栞菜。まいみぃにくっついては、クンカクンカしているらしい!?
先日放送された音楽戦士において、マイマイ(萩原舞)の入浴中にムービー片手に乱入し、児童ポルノ収録を試みたエピソードを披露するまいみぃ。何となく暇だから、幼女の裸体を…という発想。青木さやかならずとも、「変態」なのである。
音楽戦士

新曲「都会っ子 純情」では、女の子の決心を伝える台詞が、印象的な新展開。アップビートでキレのあるダンスと共に、まいみぃを体感するには最適なナンバーといえるかも知れない。

懐かしい風を感じて、ふと空を見上げる。僕の運命を暗示するかの曇天に、どこからか淡い光が紛れ込んで、澱んだマーブル模様に染め上げてゆく。
独りよがりの虚勢で、己の弱さをひた隠す。つまらないプライドを捨て切れず、うわべだけを取り繕う。苦しみから逃れることに固執して、言い訳ずくめの生き方。
少女はその全てを知っていて、再び僕の前に姿を現した。
心の澱みが薄れてゆくように、仰ぎ見る空が語りかけてくる。

煩悩に踊らされ、幸せの感覚を失くして過ぎた日々を。
浅はかで未熟な見識しか持たぬ、ちっぽけな魂を。
ひたすらに癒しを求め続けるだけの、愚かなる人生を。
まいみぃは赦してくれる。

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2007/10/19

清純派に開かれる道程

ジュニアアイドル出版社の老舗である心交社が、大きく傾きつつある。ある一点を契機に、過激な露出表現を追い求め、本来の志しを見失ったかの迷走を続けている。
アイドルのイメージ映像に水着は付きもの。この信念が揺らぐことはないが、「性的な欲望を触発させることに重きを置いた過激な表現は、駆逐されるべき」との考えは、アイドルファンとて同じものだと理解してもらいたい。

児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕者を出した、心交社の例の一件。17歳の女子高生に、Tバックを始めとした極小水着を着せて撮影ロケを行ったというもの。
この件で最も注視すべきは、これまで明確なわいせつ行為を含む映像が摘発対象であったのが、過激な水着や演出を施した映像が、初めて児童ポルノとみなされた点である。
かねてから、一部のジュニアアイドルの行き過ぎた表現に懸念を抱いていたが、遂に来るべき時が来たのだろうか。
今や、広範囲に渡ってはびこる同系列の出版物、その製作元に多大な影響を与えるのは必至だろう。17歳をジュニアアイドルと認めるつもりはないが、これを機に、問題提起の気運が高まるのは間違いなさそうだ。

今回の事件が表面化したのは、この女子高生が意に反した
水着の演出に戸惑い悩み、家族が警察に相談したのが発端らしい。
この経緯からして、心交社が槍玉に上がったのは偶然にも思えるが、その歩みを振り返れば、当然の成り行きだったことは明白なのである。

心に残る名作を生み出した、かつての黄金期。浅田由里菜笠原詩織といった、純朴さに満ちた映像で魅せる良い意味での古典的手法。僕が心交社に魅せられたのは、紛れもなく飾りのない少女美の一片であったと、今でも確信している。
事態が急転したのが、ローティーン核爆弾しほの涼の危うい中学生グラドルという、新たなカテゴリーの登場によるもの。
ここを起点として、様々な方面に波紋を投げかけ、際どいセクシーアピールがエスカレートしてゆくこととなる。
更に加速してゆく過激な表現を代表するものとして、Tバック水着が挙げられる。先駆けとなった、泉明日香に始まり、Tバック小学生三花愛良Tバック幼女朝水れいに至るまで、止まることなき暴走を続けてきた。
僕にとって畑違いの、女子高生、巨乳、着エロ系の出版物では、セミヌードオイルマッサージといった、過激さを極めたラインナップがひしめいているようだ。

ここで、整理しておきたい。本来あるはずのアイドルイメージを範とするならば、どこまでが許されるべきなのか。
15歳以下の低年齢アイドル、その水着演出を例にとり、僕個人の見解を前提に判定してみたいと思う。

水着の形状について
昨今、問題視されているTバックについては、社会的な悪影響が頻繁に取り沙汰されている。言うまでもなく、小中学生が普段着用するはずのない不自然さと、明らかに性欲を刺激することを目的とした意図が汲み取れる。完全にアウトだろう。
同じく、肌を露出させたものに、ヒモ状のビキニ等がある。(胸のパッド以外、腰の両脇部分がヒモ状のタイプ) これは、子供らしい可愛いデザインの種類もあり、違和感を感じることは意外に少ない。厚手のサポーターを着けることも可能であり、本人が抵抗感なく着用出来る。セーフである。
演出、シチュエーション
しほのデビュー作において衝撃的だったのが、白水着を着けての擬似下着。一見して、スカートから下着が露出しているように見せる手法は、目を疑うかのインパクトを与える。撮影時の手違いにより、本物の下着を着けたまま堂々と撮影してしまった、入江紗綾の例もあるが…あからさまに意図的な擬似演出は、下着に限らず全てアウトでよいかと思う。
微妙なものとして、棒状の食べ物を舐める様子を、延々と映し出す演出がある。(アイスキャンディ等) 見方によっては、微笑ましい無邪気さを感じることもあり、意図的ではありながらも、セーフとするのが妥当か。
マッサージエステ入浴シーンなど、肌の露出が多い場面における演出。必要以上に裸を強調する意図がなければ、問題ないかと。首筋やお腹などが敏感で、くすぐったがる子供らしさに癒されることも多々あるのだ。
ポージング、カメラアングル
数あるポージングそのものを、全て問うのは難しい。撮影者の良識にまかせるしかないが、過激な表現はなくならないだろう。少なくとも、大きく開脚させたり、お尻を突き出させるような特別過激なポージングは、少女の純粋さを逸脱する意味でも、自制するべきと考える。
同様に、カメラアングル接写に関しても、規制対象としては定義しにくい。被写体の一部として映し出されるならば、水着演出のありふれた一場面に過ぎない。ただ、局部を執拗に追いかけ回す、悪質なカメラワークについては、何らかの形で規制が必要となるかも知れない。

ジュニアアイドルの世界に深く浸透してしまった感のある、危うく過激を極める演出の数々。そこに渦巻くのは、いたずらに性欲を刺激し、いかにして購買意欲を煽るかを最優先にして作り出された、陰鬱で淫らな少女のイメージに他ならない。
この事件をきっかけに、心交社の暴走に歯止めが掛かるのかどうか、分からない。ただ、ひとつだけ言える。原点回帰出来る方法を、過去の経験から確実に手にしているはず。
「今さら何を…」と、彼らは言うだろう。それでも、僕は繰り返すことをやめはしない。
少女だけが持つ美しさ、純粋さ、清楚なイメージを守り通す名作を、世に送り出そうとする心意気。アイドル王道とは、永遠不朽で汚してならない清純派美少女のみに開かれるのだから。

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2007/10/04

一瞬の映像に生きる少女達

白坂奈々 秋の季節が誘う郷愁、寂しさ、孤独感。今の僕が生きる心象世界を、ありのまま描き出すかの思いに捉われる。
時として引きこもりがちな僕にとって、映像の向こう側から鮮烈な輝きを発する少女らの印象は、ことの他強く脳裏に刻まれる。それはまるで、瞬間的な一場面を丹念に繋ぎ合わせて築かれた少女のイメージに、心の温もりを求めようと無意識の内に作用するようだ。

テレビのスイッチを、ただなんとなく入れたままにしておく。僕にとって、そこに映るものが意味を成すのは、一時の美しさ織り成す、儚き美少女を視認した時のみ。
使い古されたフレーズである「CM美少女」といえど、未知なる原石を探り出すには、これ以上にないメディア展開。美少女性のみならず、子役としての表現力や、人を惹き付ける雰囲気を持っているかを模索するには絶好の機会だといえる。

最近のCM美少女の中で、最も僕を魅了したのが、「ふじっ子煮 海のやさい」CMでの白坂奈々。唐突に映し出されるショートヘア美少女が、「コンブをおいしく召し上がれ♪」と口ずさむ軽快で楽しげなCM。愛嬌ある笑顔と、清廉なルックスに痛烈に
魅了された。あの髪型、実はカツラで、本当の姿は黒髪ロング美少女というのが、また良い感じ。気になるフレーズ、「お食べなさい」が「召し上がれ」に変わったのは、なぜなのだろう!?

学校と親子のイメージが定着した「パナソニック 愛情サイズ」のCM。運動会をテーマにしたらしく、「フルハイビジョンで録ってね」と、手をかざす三人の体操着を着た女の子達。真ん中の少しハーフっぽい美少女中田朱音の、精緻な美しさが素晴らしい。何でも、キッズスタイルという雑誌の専属モデルらしい。
将来の美人モデルが保証されているかの、潜在力を感じ得た。ちなみに、以前の同CMに出演した飯田來麗も、キッズスタイルでモデルを務めている。

成海璃子が、天海祐希ばりに凄味をきかせたドラマ「受験の神様」。この中で成長した姿を見せたのが、隠れた名子役野村涼乃。スリムな美少女へと進化しつつある、健全な成育ぶりが光る。以前に、コスモ石油のCMに出演していたが、あの頃はまた、今と違った美しさが見られたように思う。透明感を帯びた少女美が印象深い、傑作であった。

子役としては不釣合いなほどのドレッシーさで魅せたCM「三菱自動車 デリカD:5」の、松野莉奈。艶やかな白いドレスで、お母さん役の美女(渡辺めぐみ)と鮮烈な美の競演。少しおめかしした雰囲気が、幼い少女らしさにミスマッチである。
CM美少女としても有名らしく、「ミサワホーム キッズデザイン篇」などにも出ていたようだ。

他に、未だ確認のとれない少女のCMを挙げてみよう。「大分麦焼酎 二階堂」CMで見た、スクール水着少女。スレンダーな美しさを垣間見たが、この子は榎田美紀(未確認)でよいのだろうか? 更に、「ジャノメ湯名人」CMで、踊る入浴美少女は、曽我亜由美(未確認)なのだろうか? 意外と気になる余韻を残すのが、CM美少女の魔力なのである。

ドラマの新星についても、ひとつだけ。巷で話題の「魔法先生ネギま!」実写版において、主演のネギ・スプリングフィールド演じる柏幸奈が、かなり可愛い。生徒役にめぼしい存在がいないのは残念だが、主演美少女がどんな演技を見せてくれるのか、楽しみなところ。出来れば、男装でない役柄がよかったのは言うまでもないが…。
野村涼乃

季節が終われば、少女の映像は消えて、またどこかで会えるだろうか。もう、二度と会えないだろうか。
僕らは、吹きすさぶ時間の風に見舞われている。今、この時は、ほんの一瞬の幻のようなもの。瞬きする間もなく、押し流された過去は無為に遠ざかり、未来は知らぬ間に近付き一瞬で過去へと変わっていく。
映像の中に生きる少女は、儚くも貴い美しさの幻影に過ぎない。少女の時は、想像を遥かに超えるスピードで、懐かしい
面影をためらいなく掻き消してしまう。
僕は、祈るんだ。虚像を追い求めるのでなく、現実に存在した美しさを少女は得ていたのだと。少女の時は消えたのでなく、真新しい再生を繰り返し、再び目の前に舞い降りるのだと。

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